明智光秀は正確な生まれや育ちがわかっておらず、謎が多い武将ですが、信長に仕えてからは異例の出世を果たしたことで有名ですよね。
坂本城は光秀が信長の命を受け、京と比叡山の抑えとして築城されたお城です。琵琶湖に面した水城は船で乗り入れができ、安土城に次ぐ名城と称賛されたお城でした。
この記事では、明智光秀の居城だった坂本城と、その周辺に残る光秀ゆかりの場所をご紹介します。
今はない幻の坂本城を想像しながら、光秀の足跡をたどってみませんか?
坂本城址公園で琵琶湖を見つめる光秀像

坂本城の最南部と思われる場所にある坂本城址公園には、柔らかい笑顔の明智光秀の銅像が立っています。公園は琵琶湖に面していて、広くはないんですが、ゆっくりくつろげる場所になっています。
本能寺の変のあと、光秀は「山崎の戦い」で秀吉に敗れ、坂本城へ戻る途中で落ち武者狩りにあい殺害されました。坂本城は秀吉軍に包囲され、明智左馬助光春が応戦するも力尽き、本丸に火を放って自刀したと伝わっています。
落城後は再建されたものの、4年後には大津城築城のため資材が使用され、坂本城は幻のごとく消えてしまいました。(その後、大津城は彦根城築城の際にリユースされています。)
坂本城の遺構は全く残っておらず、ほとんどが道路や民家の下に埋もれています。

現在も坂本城址の外堀と推定される場所で発掘調査が行われていますが、坂本城内であると証明できるものは見つかっていません。
琵琶湖の水位が下がると現れる当時の石垣は、平成6年の異常渇水の時に偶然発見されたくらいで、資料がほとんど残されていない坂本城。幻の城が解明される日がくるといいですね。
住所:滋賀県大津市下阪本3-1
開園時間:常時
※県道558号線(高島大津線)沿いの入り口に坂本城址の石碑が建っていて、10台ほどの無料駐車場があります。
坂本城跡の碑と明智塚
坂本城跡の碑

明智城址公園から北西に行った住宅街の中に、坂本城址の石碑が建っています。
光秀は信長から丹波の国を与えられ、1578年に亀山城を築城し城主となった後も、坂本城もそのまま城主として支配していました。
1573年に築かれた坂本城は、1582年に焼失するまで、明智家の復興を願い一国一城の主となった光秀にとって、一番大切な場所だったんですね。
石碑の西側(写真↑奥、道の突き当り)には東南寺があります。
お地蔵様の塚がある東西寺

東南寺の入り口を入ると本堂があり、南側に鐘楼、西側に石仏を積み上げた塚が2つあります。
坂本城落城の際に亡くなった戦死者の首塚という言い伝えもありましたが、実際は明治になってから、道端にあったお地蔵様を集められて塚になったようです。
東南寺川の改修工事で見つかったお地蔵様も、この塚に祀られています。
住所:滋賀県大津市下坂本3-6-14
坂本城跡に残る明智塚

東南寺から北東、県道558号線沿いに石灯篭があり、その奥に「明智塚」があります。坂本城落城の際に佐馬助が光秀の脇差を埋めたとか、佐馬助の首が埋まってるとか、明智一族の墓だとか、いろいろな言い伝えが残っています。
発掘調査をすればはっきりするのかもしれませんが、「触ると祟りがある」との言い伝えもあり、そのまま大切に保存され、毎年坂本城が落城した6月15日に法要が行われています。
住所:滋賀県大津市下阪本3-5-35
※駐車場はありません。
聖衆来迎寺の表門

明智塚から県道558号線を北に向かうと「聖衆来迎寺(しょうじゅらいこうじ)」があり、表門は坂本城の門を移築したものです。
1570年の姉川の合戦で、織田信長軍と戦って敗れた浅井長政は、越前の朝倉義景と合流して京に向かっていました。それを阻止しようと信長軍の武将・森可成(もりよしなり・森蘭丸の父)が坂本で待ち構えていました。
けれど、延暦寺の僧兵が浅井・朝倉軍に加勢し、森可成は討死。浅井・朝倉軍の圧倒的勝利となりました。(このことが、のちの比叡山焼き討ちの要因の1つになります。)
聖衆来迎寺の住職は、比叡山延暦寺側(浅井・朝倉軍に味方する立場で信長軍の敵)だったものの、死者に敵味方はないと、森可成の遺体を寺に運んで葬りました。
その後の信長の比叡山焼き討ちでは、寺院や坂本の町は燃やされ、僧も虐殺されましたが、聖衆来迎寺だけは恩義を感じて?焼き討ちをしなかったそうです。
そしてその後、坂本城主となった明智光秀は聖衆来迎寺を保護し、陣鐘などを寄進しています。
住所:滋賀県大津市比叡辻2-4-17
電話番号:077-578-0222
※見学は要予約(500円) 9:00~15:00(表門はいつでも見ることができます)
参拝者用無料駐車場(普通車20台)あり。
※情報が変更されている場合もありますので、公式サイトなどで最新情報をご確認くださいね。
さいごに
明智光秀の居城だった坂本城と、その周辺に残る光秀ゆかりの場所についてお伝えしました。
坂本城址公園の明智光秀像は、遠くからみたら「埴輪(はにわ)」みたいに見えるんですよね。ちょっとずんぐりむっくりしてて、かわいらしい印象です。
明智光秀が信長とともに「大きな国」を作ろうと奔走し、武将としての業績を残した坂本城。今は消えてしまった幻の城ですが、その痕跡は今も大切に守られています。
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