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明智城跡のアクセスと駐車場は?可児市に残る明智光秀ゆかりの地の見どころは?

明智城跡の石碑

岐阜県可児市には、明智光秀が30年過ごしたとされる居城であり、斎藤道三の嫡男・義龍の攻撃を受けて落城したと言われる明智城跡があります。

光秀は「明智家の再興」を託されて、落城前に越前の朝倉家へ逃れたんですよね。(※光秀の出生地については諸説あります。)

この記事では、可児市にある光秀が育った(とされる)明智城跡へ行くのに便利な花フェスタ公園のアクセスと、明智城跡の見どころをご紹介します。

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」のドラマを思いおこしながら、光秀の足跡をたどってみましょう!

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明智城址のアクセスと駐車場は?

明智城址へ行くには、「花フェスタ記念公園」を目指していくとわかりやすいです。乗用車の場合も、明智城址周辺は道が狭いので、花フェスタ記念公園の駐車場から歩いて行くことをおすすめします。

花フェスタ記念公園へ電車・バスで行く

岐阜県可児市花フェスタ記念公園の入り口

JR可児駅、または名鉄新可児駅からシャトルバスが出ています。1乗車200円(税込)で約20分ほどで到着しますが、月~土曜日の運行になっています。

名鉄明智駅からKバス光秀桃山陶線なら土日祝日のみ運行しています(年末年始12/29~1/3は運休)。1乗車300円(税込)(1日券500円(税込))で、1日5便あります。

花フェスタ記念公園へ車で行く

東海環状自動車道「可児御嶽IC」から南へ5分ほど向かいます。

花フェスタ記念公園の西駐車場は1,000台、東駐車場は700台駐車可能です。明智城址へ向かうなら、西駐車場が便利です。(駐車場は無料です。)

花フェスタ記念公園

花フェスタ記念公園は、世界最大級のバラ園があることで知られる、岐阜県営都市公園です。青いバラが植栽されていて、珍しい品種のバラを見ることができます。

公園内はとにかく広いので、園内バスをうまく使って、花を楽しんで下さいね。

※花フェスタ記念公園で見られる花
パンジー・ビオラ(2月)、紅白梅(2~3月)、ネモフィラ(3~4月)、ひまわり(7~8月)、コスモス(9月)、ポインセチア(12月)、バラ(春・秋)など。

花フェスタ記念公園
住所:可児市瀬田1584-1
入園料(税込):通常530円 バラのシーズン(春・秋)1,050円
 高校生以下無料
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可児市の光秀ゆかりの地の見どころは?

可児市明智荘は明智光秀の生誕地?

岐阜県可児市明智城跡へ行く桔梗坂の入り口

明智光秀の前半生はほとんどわかっていなくて、生誕地についてもいくつか諸説がありますが、通説として、土岐氏の流れをくむ土岐明智氏の一族ではないかと言われています。

土岐明智氏が治めていた明智荘(あけちのしょう)、明智光秀は1528年に生まれ、1556年の明智城落城までこの地で過ごしたと記録が残っています。

明智城は光秀の叔父・光安が城主を務めた明智城は、自然の地形を生かした山城です。本丸までは両脇に桔梗が植えられている桔梗坂を登っていきます。

光秀が育った?明智城址

岐阜県可児市明智城跡の大手門

明智城は可児市瀬田長山にあったお城で、別名「長山城」とも言われています。

細い石畳の坂を上がっていくと、再現された明智城大手門があります。木の枠組みだけの門なんですが、なんだか威厳ある門ですよね。

ここからさらに石畳の坂を10分ほど上っていきます。ハイキングするつもりで、歩きやすい靴でお出かけくださいね。本丸の標高は175m、「明智城址」の石碑が建っています。

1556年斎藤道三と嫡男義龍が戦った合戦(長良川の戦い)で道三が戦死、道三に恩もあるが義龍にも義があるとしてどちらの勢力にも加担しなかった明智一族は、苦境に立たされました。

道三の正室(帰蝶の母)は光安の妹で、道三の外戚だったこともあり、道三の死後に義龍から攻撃を受けました。明智城は800人ほどで籠城するものの、落城してしまいます。

光秀は明智家再興を託されて、西濃の親族を頼って落ち延びるんですが、残った光安らは自刃し、明智一族は光秀を除いて滅亡してしまったんですね…。

現在は城の面影はなく、七ツ塚(明智城が落城したときに亡くなった7人の武将が祀ってある塚)や、新しく作られた馬防柵などがあります。

展望台と稲葉山城

岐阜県可児市明智城跡の展望台

七つ塚の先には、展望台があります。ここから見渡せるエリアが明智荘だったんだとか…今でも田んぼが広がるのどかな風景です。

…て、ちょっと待って! 斎藤道三の居城って稲葉山城、のちの岐阜城ですよね? で、ここは岐阜城より35Kmほど離れているんですよ! 馬で山越え野を駆けても半日はかかるんじゃないでしょうか…。

ドラマで道三に「明日の朝登城せよ」って光秀が言われてましたが、明智荘まで往復してる時間ないですよね? すぐそこ、じゃなくて、めちゃめちゃ遠いんじゃん!と驚いてしまいました。

こんなに広いのに、まだ領地が欲しくて?織田の軍勢と戦っていたなんて…そんな時代に生まれなくてよかったとちょっと思ってしまいました。

六親眷属幽魂塔

岐阜県可児市明智城跡にある明智一族の供養塔

展望台から、最近新しく作られたというくだり道を降りていきます。途中に「六親眷属幽魂塔(ろくしんけんぞくゆうこんとう)」があります。

昭和48年に発見されたもので、当時は石がわずかに頭を出してるだけだったそうです。地中からは人骨や武具が発見されています。落城時の戦死者ではないかと考えられています。

村人がひそかに明智一族のために建てた供養塔で、塔を建てたことがばれると、逆臣に味方したとして思い処罰を与えられるから、埋没させてお祀りしていたんですね。

村人たちが危険を冒してまで明智一族を供養したのは、明智城主がこの土地をきちんと治め、村人たちから慕われていた証拠ですね。「いい人」でも憂き目を見る戦国時代…光秀もその一人だったのかもしれません。

そこからまた下っていくと、アスファルトの道路に突き当たります。右へ行くと、最初の桔梗坂の入り口へ戻ることができます。

明智城跡の御城印は?

明智城の御城印は、大手口横(桔梗坂下)の露店にて販売されていますが、お店自体が不定期なので、タイミングが合えば購入できます。

ここに行けば必ず手に入る!って場所がないので、巡り合えたらゲットしてくださいね。

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さいごに

岐阜県可児市に残る、光秀生誕地とされる明智城址に行くのに便利な花フェスタ公園へのアクセス・駐車場と、明智城址の見どころをお伝えしました。

明智城跡へは歩きやすい靴でお出かけくださいね。特に雨上がりは、本丸からの下りの階段は滑りやすくなっていますので、気を付けてくださいね。

>>岐阜県可児市の観光情報はこちら【楽天たびノート】

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