岩村城のアクセスと駐車場は?女城主おつやの方の悲劇と石垣が伝える戦国時代!

【麒麟がくる】

岐阜県恵那市岩村町にある美濃岩村城は、日本3大山城の1つに選ばれていて、全国で一番標高が高い場所にあります。683年と長い歴史を持つ岩村城は、おんな城主が君臨していた時もありました。

織田信長と明智光秀も訪れたといわれる岩村城とはどんなお城なんでしょうか?

この記事では、岐阜県恵那市にある岩村城のアクセスと駐車場、おんな城主おつやの方の悲劇、石垣が伝える戦国時代と岩村城の御城印、岩村歴史博物館についてご紹介します。

この記事を読めば、岩村城の歴史ロマンを感じて、岩村城の石垣を見に行きたくなっちゃいますよ。

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岩村城へのアクセスは?

岩村城へ電車・バスでの行き方

名古屋からJR中央線で「恵那駅」まで行きます。快速で約1時間ほどかかります。恵那駅から明智鉄道に乗り換えて「岩村駅」まで行きます。約30分ほどかかります。

岩村駅から岩村城登山口の「岩村歴史資料館」まで歩くと約25分かかります。

恵那コミュニティバス「岩村駅前」から81上矢作線「横町車庫行」で「岩村上町」で下車、資料館まで650m、徒歩約10分です。(バスの運賃は、岩村駅↔岩村上町は1乗車100円です。)

土日祝日は「岩村資料館前」まで行くバスが1日2本ありますが、岩村駅まで戻るには「岩村上町」からバスに乗ります。(岩村駅↔岩村資料館も1乗車100円です。)

岩村城へ車で行く・駐車場は?

中央自動車道「恵那IC」から国道257号線、国道418号線と南下して「岩村歴史資料館」へ向かいます。資料館前に約30台ほどの無料駐車場があります。

国道418号線をそのまま南下していくと、岩村城山頂に向かう横道が左側にあります。その道を行くと岩村城山頂近くまで上がっていくことができます。20台ほど停車できる無料駐車場(写真↑)があります。

でも、かなりくねくね道の急な坂道、車がすれ違うことはできません。何か所か待避所らしきスペースがありますので、対向車が来たら、そこまでバックしなきゃいけないです。

とにかく「対向車が来ませんように」と祈りながら、山頂に向かってくださいね。

岩村城のおんな城主おつやの方

おんな城主おつやの方の悲劇

岐阜県恵那市岩村城跡の石垣

築城されてから700年以上の歴史がある岩村城ですが、城を守った城主の中に「おんな城主」として有名なおつやの方がいます。

おつやの方は織田信長の父信秀の妹、信長にとって「叔母さん」にあたります。生年不詳なので正確な年齢はわかりませんが、とても聡明で美しい人だったそうです。

1572年8月に、岩村城主だった遠山景任が子供がいないまま病死すると、信長は自分の5男・御坊丸を養子として送り込んで、後継ぎとさせました。

御坊丸はそのとき8歳だったので、未亡人おつやの方が実質的な城主として領地を治めていました。

同年12月、上洛を目指す武田信玄が岩村城奪取を家臣の秋山虎繁に命じ、秋山軍が岩村城を包囲します。その頃、信長は浅井・朝倉連合と小競り合いを続けていて、援軍を送ることができなかったんですね。

4か月の籠城の後、おつやの方が秋山虎繁と結婚することを条件に無血開城、秋山虎繁が岩村城主となり、御坊丸は人質として甲斐に送られてしまいます。

家臣や領民を守るために、政略結婚を選んだおつやの方は、1575年に織田軍に包囲され落城、秋山虎繁とともに処刑されました。

おつやの方は領民を守るために、信長を裏切って武田方の武将と結婚し、身内である信長に殺される…自分のために生きることができなかった、悲運のおんな城主の物語が語り継がれています。

信長と光秀も訪れた岩村城

岐阜県恵那市岩村城跡の案内図

1573年に武田信玄が死去し、武田勝頼が家督を継ぎます。1575年の長篠の戦い(織田・徳川連合軍と武田軍の戦い)で武田軍は大敗し、岩村城も織田軍に奪還されてしまいます。

武田軍は人質としていた御坊丸(織田勝長)を返して織田軍と和睦を図ろうとするものの、うまくいかず、信長は甲州征伐(武田領地へ侵攻)を続けていました。

1582年3月、明智光秀を連れて岩村城に入城していた信長は、武田勝頼が織田軍滝川一益隊との戦いで討ち死にしたことを知らされます。

その後信長は武田領を家臣らに与え、4月に安土城へ戻りました。その2か月後に、本能寺の変がおこるんですよね。

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岩村城にともに訪れていた2人。何が光秀をそう動かしたのかわかりませんが、岩村城は何かを見ていたかもしれませんね。

岩村城の石垣が伝える戦国時代

岐阜県恵那市岩村城跡の6段石垣

美濃岩村城は標高が721mと、日本で一番標高が高い山城です。ロープウェイで上る岐阜城の標高は329m、天空の城と呼ばれる備中松山城でも470mです。

岩村城は木曽山脈の地形を利用した要害堅固な山城、この地方特有の霧の多さも味方にして「霧ヶ城」とも呼ばれています。城内には17か所の井戸があり、現在も水をたたえています。

現在は石垣しかありませんが、よくもまぁこんな山の上に、石段を積み上げたよね、って感心しちゃいます。石垣の総延長は1.7Km、約4万個の石が使われています。

1段の高石垣に、崩落防止のために補強のための石垣を継ぎ足してできた6段壁(写真↑)、 三角に切り出して作られた石階段(写真↓)、わざわざ三角にしたのは見栄えのためでしょうか。

岐阜県恵那市岩村城跡の三角石の階段

苔が生えている石垣に、歴史を感じちゃいますよね。埋門(うずめもん)では、野面(のづら)積み、打込ハギ、切込ハギと3種類の石垣の積み方を見る事ができます。

野面積みは石の形に統一性はなく、無造作に積まれているように見えますが、頑丈で排水性がいいのが特徴です。

打込ハギは、石の角や面を打ち欠いて平たくし、石と石の隙間を少なくした積み方で、野面積みよりも高く、急な勾配の石垣が造れます。

切込ハギは、石と石がぴったり合わさるように加工されて、積み上げられたもので、手作業で加工したとは思えないくらい、キレイな形できっちり積まれています。

各スポットにQRコードがあって、スマホで読み取るだけで、解説を聞いたり、再現されたお城の画像を見る事ができます。在りし日の岩村城を想像できるので、おすすめですよ。

本丸からの眺めもよく、遠くの山々や村落を見る事ができます。歴代城主も同じ風景を眺めたんだと思うと、時代の流れを感じちゃいますね。

岩村城下の歴史資料館

太鼓やぐらと歴史資料館

岐阜県恵那市の岩村歴史博物館前にある太鼓やぐら

戦国時代が終わり、平和になった江戸時代に、当時の岩村藩主が城の山麓に造営した藩主邸跡地に、 岩村歴史資料館があります。

資料館の北側には、岩村城絵図を基に再現された「御殿門」と「太鼓やぐら」が復元されています。太鼓やぐらは城下に「時」を知らせるためのものとして設けられていました。

岐阜県恵那市の岩村歴史博物館

資料館内には、岩村城平面図や岩村藩の関係史料が展示されているほか、岩村町で見つかった化石(貝殻やクジラも見つかっています!)も展示されています。かつて岩村周辺は海だったんですね。

江戸時代の目安箱や、日本初(1862年発行)の、日本には15冊しか現存しない英和辞典、岩村出身の偉人の紹介もあります。※写真撮影は禁止されていますので注意してくださいね。

1階には岩村城跡のジオラマがあり、岩村城の全体をイメージすることができますよ。

日本100名城スタンプと御城印

資料館の入り口すぐ、受付前に「日本100名城のスタンプ」が設置されています。資料館に入場しなくても、スタンプを押すことはできます。

玄関前には貸し出し用の杖も用意されています。トイレは資料館の裏手にあります。

※岩村歴史資料館から岩村城跡本丸まで、徒歩約20分…と書かれていましたが、急こう配の石段もあり、普段から歩いていない私には、休憩しながら歩いて40分かかりました。

岩村歴史資料館
住所:岐阜県恵那市岩村町98
開館時間:4~11月 9:00~17:00 12~3月 9:00~16:00
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)、祝日の翌日、年末年始
料金:一般300円 65歳以上200円 高校生以下無料
岐阜県恵那市の岩村城の御城印

岩村城の御城印は、「岩村山荘」で購入できます。1枚300円で書き置きです。「岩村山荘」は岩村城登山口近くにある宿泊施設ですが、食事のみの利用もできます。

岩村山荘が休業日の時は、「岩村町観光協会 町並ふれあいの館」岩村城下町の中にある観光案内所にて販売されています。

岩村山荘
住所:岐阜県恵那市岩村町富田569-1
電話番号:0573-43-3626 不定休
岩村町観光協会 まち並ふれあいの館
住所:岐阜県恵那市岩村町263-2
営業時間:9:00~16:00 定休日:月曜日
御城印についてのお問い合わせは、恵那市観光協会岩村支部へご確認ください。
電話番号:0573-43-3231
 

さいごに

岐阜県恵那市にある岩村城のアクセス・駐車場と、おんな城主おつやの方の悲劇、石垣が伝える戦国時代と岩村城の御城印、岩村歴史博物館についてお伝えしました。

岩村歴史資料館から歩くなら、石畳が続く道を上がっていきます。歩きづらくはないですが、歩きやすい靴でお出かけくださいね。特に雨上がりなどで濡れているときは滑りやすいので要注意です。

岩村城下の町並みもおすすめです。お時間があればぜひ立ち寄ってみてくださいね。

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