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西尾城の抹茶で一服!本丸丑寅櫓の歴史と城主は?江戸時代の建築技術の魅力に迫る!

西尾城跡の石碑

西尾市は「三河の小京都」とよばれ、町全体が城郭で守られていた城下町だったってご存じですか?

平成になってから一部が復元された西尾城歴史公園では、2つの隅櫓(すみやぐら)と櫓門(やぐらもん)、旧近衛邸の建物が公開されています。

この記事では、西尾城で抹茶がいただける旧近衛邸、本丸丑寅櫓をはじめ西尾城跡歴史公園内の建物の魅力、アクセス駐車場について、詳しくご紹介します。

行かれる時はぜひ参考にしてくださいね。

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西尾城の旧近衛邸で抹茶をいただく

西尾城跡歴史公園内の旧近衛邸

西尾城歴史公園内に再建された旧近衛邸は、京都の公家・近衛家に嫁いだ島津斉彬の娘(篤姫)のために、島津家によって建てられた江戸時代末期の建物です。

昭和末期に建て壊しが決まった時に、書院と茶室が西尾市に移築されました。

入口で靴を脱いで中に入ります。西尾城の御城印を販売する受付があり、お抹茶をいただくときは、ここで先に支払いを済ませます。一服500円(季節の和菓子付き)。

旧近衛邸を囲む回遊式枯山水庭園はとってもきれいに手入れされていて、縁側に座って庭を眺めながらお茶をいただくと、ゆったりと穏やかな時間を過ごすことができます。

この日のお茶菓子は両口屋さんの「いのこもち(亥の子もち)」、旧暦10月に限定販売されるウリボウ(猪の子供)模様のお菓子で、ふんわりとしたお餅の中に栗・小豆・ゴマがたっぷり入っていて、あっさりした甘さが抹茶にぴったりでした。

お抹茶とお菓子は毎回変わるので、「今日は何かな?」って楽しみに通いたくなります。季節によって色どりを変える庭を眺めて、ほっこり至福の時を過ごしてくださいね。

西尾城の御城印は旧近衛邸で販売中

西尾城跡歴史公園内の旧近衛邸の庭園

西尾城の御城印は、旧近衛邸の受付にて購入できます。

「屏風折土塀之城 西尾城」と力強い文字で書かれていて、城の字のハネる部分が上に向かってのびています。西尾城城主の家紋も入っています。1枚500円。

御城印の日付は書いていただくこともできますし、あとで自分で記入することもできます。

旧近衛邸の休館日は購入できないので、注意してくださいね。

旧近衛邸
住所:西尾市錦城町231-1
電話番号:0563-54-6758
開館時間:9:00~18:00(10月~3月は17:00) 入館無料
抹茶の呈茶時間:10:00~16:00
休館日:月曜日(祝日の場合は開館)、12/29~1/3
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西尾城の歴史と城主は?

西尾城跡歴史公園は、錦城体育館が解体された後に整備されて、1996年(平成8年)に開園しました。

  • 平成7年:近衛邸の数奇屋棟と茶室が移築
  • 平成8年:本丸丑寅櫓と鍮石門(ちゅうじゃくもん)が再建
  • 令和2年:二の丸丑寅櫓と折れ土塀が復元
  • 天主の再建が計画中(天守台は完成)
西尾市歴史公園
住所:西尾市錦城町231-1
園内散策は自由(入場無料)
本丸丑寅門の内部公開:9:30~16:00
休園日:月曜日(祝日の場合は開館)・12/29~1/3

西尾城の本丸丑寅櫓

西尾城の本丸丑寅櫓

西尾城本丸の北東に建てられた「本丸丑寅櫓(ほんまるうしとらやぐら)」、もともとは堀に面した天守だったんですが、1585年に二の丸に天守が建てられたため、物見櫓として残されていました。

しゃちほこものっていて、櫓にしては立派すぎるんですが、もともとは天守だったと聞けば納得です。

1階の土間で靴を脱いで、階段を上がります。外観は大きく見えるんですが、中は意外と小さい印象です。

西尾城の本丸丑寅櫓の内部

けれども天井は大きな梁が交差して、構造がよくわかります。引き戸には上下に上げ下げができる木片が付いていて、閉めたときに木片を下に落として開かなくする鍵のようなものが付いています。

これも江戸時代の建築技術の1つなのかもしれません。

溝にも穴が開いてるので、鍵のからくりを体感してみてくださいね。

西尾城二の丸天守閣跡と丑寅櫓

西尾城の二の丸丑寅櫓

駐車場の北側に、土塀とつながって二の丸丑寅櫓(にのまるうしとらやぐら)が建っています。

外観は2層ですが、中は3階になっていて、2階には石落としを兼ねた出窓や、敵の侵入を防ぐために階段にフタが付いています。

中を見学することができませんが、入り口から中をのぞくと、ヒノキと杉の木で再建された櫓は、まだ木の香りが残っていました。

西尾城の二の丸天主の石垣

土塀の先には、発掘調査で出土した石を一部再利用して積まれた「二之丸天守閣跡」があります。

普通のお城は本丸にある天守閣を守るように、二の丸、三の丸と作られているのですが、西尾城は天守が角にある、珍しいタイプです。

資料によると、天守は3層で高さは約15m、石垣の高さが約12mなので、城下町を広く見渡すことができたようです。(現在の石垣の高さは6mです。)

まだまだ発掘調査中とのことなので、新しい発見があることを期待したいですね。

西尾城の折れ土塀は必見!

西尾城の折れ土塀

二の丸丑寅櫓と天守台をつなぐ高さ約2mの土塀のなかに、くの字に折れてせり出している部分が2か所あります。

1644年、江戸幕府が諸藩に命じて提出させた城下町の地図(正保城絵図)には、お城の石垣の高さや堀の幅、水深なども書き込まれていて、その中に「三河国西尾城絵図」があります。

その絵図に基づいて再建された西尾城、絵図には2か所の折れ土塀が記されていました。屏風折れ土塀は全国で2か所だけ(もう1つは栃木県宇都宮城)という、珍しい土塀です。

西尾城の折れ土塀

土塀と同じように土手も張り出していて、攻めてくる敵を攻撃しやすい形ですが、他のお城で残っていないのは、なぜなんでしょう?

折れ土塀を作るのはすごく大変、とか、別に土塀がまっすぐでも問題がない、とか、折れてる土塀部分が狭くて弓が引けない、とか、何らかの理由があって作られることがなかったのかもしれません。

西尾城は折れ土塀と二の丸天守が、他のお城とは違う特徴となっています。

西尾城の城主は?

西尾城の櫓門
鍮石門(ちゅうじゃくもん)

西尾城の始まりは、鎌倉時代の前期に足利義氏(あしかがよしうじ)によって築城された「西条城」とされています。

※足利義氏の母は北条時氏の娘、北条義時・北条政子の妹になります。義氏の正室は北条義時の長男・泰時の娘。室町幕府を開いた足利尊氏の5代前の先祖が、義氏です。

1576年に徳川家家臣の酒井重忠が城主となって二の丸に天主を築き、1590年に豊臣秀次(秀吉の甥)家臣の田中吉政が城主になって、櫓や楼門が建てられました。

(※1582年に本能寺の変が起こり、1590年に秀吉が北条氏を制圧、家康は関東へ領地替えされました。)

1600年の関ケ原の合戦後は家康家臣の譜代大名が城主を務め、1764年に松平乗祐(のりすけ)が入城、以降5代続いて西尾城主をつとめ、明治時代に入って廃城となりました。

西尾市資料館

西尾市資料館と本丸隅櫓
資料館から見える本丸丑寅隅櫓

昭和52年に完成した「西尾資料館」は、2021年10月にリニューアルオープンしました。

資料館は西尾の歴史ゾーン、西尾城ゾーン、企画展ゾーンと3つに分かれていて、それぞれ分かりやすく展示・解説されています。

西尾城ゾーンでは、西尾城下町のジオラマや鎧などの武具、西尾城東之丸からの出土品が展示されています。広くはないんですが、興味深い資料が並んでいるので、一見の価値ありですよ。

西尾市資料館
開館時間:(4~9月)9:00~18:00 (10~3月)9:00~17:00 
休館日:月曜日(祝日は開館)・年末年始・展示入れ替え期間
無料
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西尾城のアクセスと駐車場は?

西尾城跡歴史公園案内図

名古屋駅から西尾城へ電車で行く場合は、名鉄名古屋駅から名鉄名古屋本線(豊橋行)「新安城駅」で名鉄西尾線に乗り換えます。約20分ほどで「西尾駅」に到着します。

JR東海道線にも「安城駅」がありますが、名鉄の「新安城駅」とは3.6Kmほど離れています。JR「安城駅」から名鉄に乗り換えるなら、「北安城駅」の方が近いです(徒歩約10分)。

西尾駅の西口から出て、北西方向へ1Kmほど歩きます。

バスで行くなら、西尾駅西口前のバス乗り場から「六万石くるりんバス(右回り)」で13分「歴史公園西」バス停で下車します。(約2時間に1本・左回りなら約24分かかります。)

または、平坂中畑線で3~5分「歴史公園北」バス停で下車します(1時間に1本)。どちらも1乗車200円(中学生以上・小学生以下は無料)、降車時払いです。

降車時に運転手さんから「のりつぎ券」をいただくと、当日のみ「六万石くるりんバス」が乗り放題になるので、忘れずにいただいてくださいね。

西尾城の駐車場は?

県道383号線(蒲郡碧南線)から、一方通行の細い道に入ると、右側に50台ほどの無料駐車場があります。※一方通行なので、この道からしか入ることができません。

西尾市歴史公園、西尾公園テニスコート、中央ふれあいセンター、総合グラウンド、文化会館の案内板がある道です。

入り口が狭い道なので、見落とさないように気をつけてくださいね

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※情報が変更されている場合もありますので、公式サイトなどで最新情報をご確認くださいね。

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さいごに

西尾城で抹茶がいただける旧近衛邸、本丸丑寅櫓をはじめ西尾城跡歴史公園内の建物の魅力、アクセス駐車場についてお伝えしました。

西尾城はこじんまりとしていますが、江戸時代の建築技術が詰まった、解明されていない謎が多いお城です。

まだまだ西尾城の一部が復元された状態で、今後天守も復元されるかもしれません。これからの楽しみが残る西尾城へ、ぜひお出かけくださいね。

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