名古屋市内とは思えない、静かな高台があります。
守山区の龍泉寺。平安時代創建の古刹で、尾張四観音のひとつとして知られるお寺です。でも、このお寺には歴史好きとしてもうひとつ気になる顔があります。
信長の弟・信行が築いた龍泉寺城の跡地であること。
標高72mの高台に建つ模擬天守、濃尾平野を見渡せる展望台、今は立ち入り禁止になっている空堀の跡——「お寺に来たつもりが城跡だった」という驚きがここにあります。
末森城跡が城山八幡宮になったように、龍泉寺城跡もまたお寺として今に残っている。名古屋の城跡めぐりのルートに、ぜひ加えてほしい場所です。
龍泉寺とはどんな場所?

尾張四観音のひとつ
龍泉寺は天台宗のお寺で、平安時代に最澄(伝教大師)によって創建されたと伝わります。
名古屋城の鬼門の方角にあることから、徳川家康に名古屋城の鎮護として定められ、「尾張四観音」のひとつに数えられました。
ご本尊は馬頭観音像で、厄除け・無病息災のご利益があるとされています。その年の恵方にあたるお寺では盛大な節分会が行われる慣わしで、龍泉寺の節分会も地元に根付いた行事として続いています。
高台にある古刹
龍泉寺は小高い丘の上にあります。バス停から坂道を上がって山門をくぐると、境内はさらに高台になっていて、奥に進むほど濃尾平野が開けてきます。
その地形が、戦国時代に「ここに城を築こう」という判断につながった。高台ゆえの歴史が、このお寺にはあります。
名古屋市内とは思えない静けさ
名古屋駅から大曽根駅でゆとりーとラインに乗り換えれば、30分ほどで来られる場所なのに、境内は静かです。猫たちが石段でまったりとくつろいでいて、「我関せず」という顔でこちらを見ている。
地元の人の参拝が続く、日常に根ざした場所の空気があります。
龍泉寺城とは?信長の弟・信行ゆかりの城

なぜここに城が築かれた?
龍泉寺城が築かれたのは1558年(永禄元年)のこと。信長の弟・織田信行が、この高台の地を選んで築城しました。
なぜここだったのか——標高72mという高さがポイントです。
展望台に立つと、庄内川を挟んで春日井市・小牧市まで、濃尾平野がはるか遠くまで見渡せます。現代でもこの眺望ですから、当時は小牧山城も、金華山の岐阜城も見えたのではないかと思います。
敵の動きを早く察知できて、守りやすい。戦国武将が高台の寺域に目をつけたのは、当然の判断だったでしょう。
実際、1560年の桶狭間の戦いでは、信長が清洲城防衛のために龍泉寺城へ兵を派遣しています。戦略上の要地として機能していたことがわかります。
その後、1584年の小牧・長久手の戦いでは豊臣秀吉軍が龍泉寺城に陣を敷きました。退却の際に火を放ったため、城は消失——今の模擬天守は昭和39年に復元されたものです。
城跡の周辺には、秀吉軍が戦いに備えて掘ったとされる空堀が今も残っていますが、現在は立ち入り禁止になっています。
小牧長久手の戦いの結果と古戦場の場所は?秀吉は負けて勝ち家康が勝って負けた戦い!?
信長と信行の関係

織田信行は信長の弟でありながら、兄への対抗心を燃やし続けた武将でした。
1556年の「稲生の戦い(末森の戦い)」では、柴田勝家を味方につけて信長に反旗を翻しましたが敗北。信長は信行を許します。
しかしその2年後の1558年、信行は龍泉寺城の築城を始め、再び謀反を企てます。
同年11月、信長の病気見舞いとして清洲城に赴いた信行は、そのまま謀殺されました。龍泉寺城は、完成からほどなく廃城となります。
末森城跡(城山八幡宮)でも感じたことですが、兄弟が城を挟んで争った——その歴史がこの高台に重なっています。
信行の嫡男・信澄はのちに信長の家臣として厚遇され、明智光秀の長女と結婚しましたが、本能寺の変で謀反への加担を疑われ、無実のままさらし首になっています。一族の不運が続く、切ない歴史です。
実際に歩いて感じた龍泉寺城跡の魅力

龍泉寺城の西側にある展望台に立つと、濃尾平野が広がります。
中央に見える煙突(王子製紙)を目印に、春日井・小牧方面まで見渡せる開放的な眺め。
信行も秀吉も、この景色を見ていたのかと思うと、なんとも感慨深い。「歴史の舞台に立っている」という実感が、ここではっきりします。
城跡を歩きながら「なぜここに城を築いたのか」が地形で分かる——それが城跡散歩の醍醐味ですが、龍泉寺城跡はその体験がとてもわかりやすい場所です。
展望台のそばの庭園も、居心地がいいです。
秋でなくても赤い葉をつけた猩々もみじが、緑の中に映えていて、「ここだけ時間の流れが遅くなってる」ような落ち着いた空気があります。名古屋市内にいることを忘れる静けさです。
城跡としての迫力より、「高台の静かな場所に来た」という心地よさが、龍泉寺城跡らしさだと思っています。
龍泉寺の見どころ

城跡だけでなく、龍泉寺の境内にも見どころがたくさんあります。
龍泉寺城(模擬天守・宝物館)は、昭和39年に復元された三層の天守で、金のしゃちほこが守る堂々たる姿。中は宝物館になっていて、日曜・祝日のみ公開されています。
- 円空仏
宝物館の目玉です。頭上に馬の化仏をつけた馬頭観音(高さ112cm)が印象的で、口角を上げてほほ笑む表情が独特。左右には熱田大明神と天照皇大神、その横に200体の木端仏が並びます。
龍泉寺には約500体の円空仏が残されていて、荒子観音と並ぶ円空仏の宝庫です。天井からは龍が睨み、天井画も残っています。
ちなみに展示台の上には電話線のどこにもつながっていない黒電話が置いてあって、昭和生まれにはじわっときます。
開館日:日曜・祝日のみ 9:00~15:00
拝観料:100円
- 仁王門
国の重要文化財に指定された建築で、1607年(江戸時代)建築とされていますが、室町時代の建築物を移設した可能性もあると言われています。
戦国武将たちも同じ門をくぐったかもしれない、と思うと歴史の厚みを感じます。

- 多宝塔
小牧・長久手の戦いで焼失後、豊臣秀吉が死去した1598年から復興されたもの。現在は阿弥陀如来が安置されています。
- 鐘楼
戦時中の金属類回収で鐘が供出され、現在の「平和の鐘」は昭和34年の寄進。1打10円で誰でも撞くことができます。
- 埋蔵金エピソード
明治39年の火災の焼け跡から、壺に入った慶長小判100枚が発掘されました。その小判を基金として明治44年に本堂が再建されたというのだから驚き。
誰がいつ埋めたのか、今も謎のまま。まだどこかに眠っているかも……なんて想像が止まりません。

- 龍泉寺の猫たち
お寺で自由気ままに暮らしている猫たちで、公式HPでも「竜泉寺の猫たち」として紹介されているほど愛されています。
寺務所の入口付近でまったりしていることが多く、「我関せず」な顔で参拝者を迎えてくれます。
桃厳寺や末森城と一緒に巡るのもおすすめ
龍泉寺城跡は、名古屋市内の「城跡がお寺や神社になった場所」めぐりとしてセットで歩くのが楽しいです。
末森城跡(城山八幡宮)は、信行が反乱を起こした「稲生の戦い」の舞台。龍泉寺城と末森城は、信行ゆかりの城という点でつながっています。
桃厳寺は織田信秀(信長の父)の霊廟がある場所で、信長ゆかりの寺として知られています。名古屋市西区にあり、龍泉寺城跡と合わせると「織田家の名古屋」を立体的に感じられるコースになります。
古渡城跡(東別院)は信秀が築き、信長が元服した城跡。信秀→信長→信行という織田家の流れを、地図の上でたどるコースとして面白いです。
尾張に残る織田家の城跡めぐり5選!信長と父・信秀が動いた歴史の舞台を歩く
所要時間はどれくらい?

- 龍泉寺城跡と展望台をさらっと見るなら、30〜40分
- 宝物館・仁王門・鐘楼・庭園まで境内をじっくり歩くなら、1〜2時間
- 末森城跡・桃厳寺などの周辺史跡とセットで回るなら、半日~1日
宝物館(龍泉寺城内)は日曜・祝日のみ開館なので、円空仏を見たい方は曜日に注意してくださいね。
住所:名古屋市守山区竜泉寺1-902
龍泉寺城のアクセスと駐車場
電車・バスの場合
JR中央線「大曽根駅」で名古屋ガイドウェイバス「ゆとりーとライン」に乗り換えて「竜泉寺口バス停」下車、徒歩約3分。
バス停北側の階段を上がって坂道を進むと山門前に到着します。
車の場合
県道202号線→県道15号線(竜泉寺街道)を走り、「竜泉寺口」交差点を過ぎた先で左折して細い道へ。山門右側と山門から70mほど手前の西側に参拝者用無料駐車場があります。
龍泉寺城まとめ
龍泉寺城跡は、「城を見る場所」というより、織田家の時代を見下ろす場所でした。
信行が選んだ高台、秀吉軍が陣を敷いた場所、濃尾平野を見渡す展望台——ここに立つと、戦国時代がただの歴史ではなく、「この景色の中で起きたこと」として感じられます。
末森城・桃厳寺・東別院と組み合わせて歩くことで、「名古屋の織田家の歴史」がひとつにつながっていきます。ぜひ、静かな高台へ歩きに来てみてくださいね。
>>龍泉寺がある名古屋市守山区の観光情報はこちら【楽天たびノート】※情報が変更されている場合もありますので、公式サイトなどで最新情報をご確認くださいね。
