この記事では、桶狭間の戦いの舞台となった場所の現在の様子をご紹介します。
1560年5月19日、尾張の織田信長と駿河・遠江・三河を支配していた今川義元との間で起こった桶狭間の戦い。この戦いは、日本の歴史の流れを大きく変えた重要な転換点となりました。
今川義元率いる2万人の大軍(諸説あり:3万人とも5万人とも)に対し、織田信長はわずか2,000〜3,000人の軍勢で立ち向かいました。
数の上では圧倒的に不利な戦いでしたが、信長の奇襲作戦が功を奏し、見事勝利を収めたのです。
この勝利により、信長は天下統一への道を歩み始めることになります。
織田信長と今川義元の運命を分けたこの戦いの跡地を巡り、戦国時代にタイムスリップしてみませんか?
桶狭間の戦いの場所の現在:古戦場公園を中心に
桶狭間の戦いの舞台となった場所の現在を確認していきましょう。
桶狭間古戦場公園:戦いの中心地
現在の名古屋市緑区に位置する桶狭間古戦場公園は、かつての激戦地の中心です。ここには、戦いの記憶を今に伝える様々な史跡が残されています。
今川義元のお墓と駿公墓碣
公園内には、今川義元のお墓と「駿公墓碣(すんこうぼけつ)」が並んで建てられています。駿公墓碣は昭和28年に偶然発見されたもので、当時の村人が今川義元を弔った墓石と言われています。
ここに立つと、天下統一の野望を胸に秘めながら、思いもよらぬ最期を迎えた義元の無念さが伝わってきます。手を合わせ、戦国の世を生きた武将たちの運命に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
ねずの木と首洗いの泉
公園内には、今川義元が馬をつないだとされる「ねずの木」があります。今は枯れてしまっていますが、この木に触れると熱病にかかるという言い伝えがあるそうです。
義元の無念がのり移っているのでしょうか。
また、義元の首を洗ったとされる「首洗いの泉」も残されています。
この辺りは清水が豊富に湧き出ていたそうで、湧き水の周りで桶がくるくる回ることから「桶廻間(おけはざま)」という地名が付いたという説もあります。
今川軍として戦っていた徳川家康は、今川義元の討ち死を知り、大樹寺に逃げ込んで切腹しようとしたのを助けられ、岡崎城へ戻ったという話が残っています。
大樹寺の徳川歴代将軍の位牌は身長と同じ大きさってホント?アクセスと駐車場は?
七ツ塚:戦死者への鎮魂の地
桶狭間の戦いでは、今川軍2,753人、織田軍約990人の戦死者が出たと記録されています。信長の命により、村人たちは戦死者を手厚く埋葬し、7つの塚を建てて供養しました。
現在、七ツ塚は区画整理により移設されていますが、桶狭間古戦場公園から北側にある武路公園に案内板があります。
静かに佇む七ツ塚を訪れ、戦乱の世で命を落とした武士たちの魂を慰めてみてはいかがでしょうか。
矢印の道路を行くと左手、民家と民家との間に細い通路があって、その先に七ツ塚があります。
瀬名氏俊陣地跡:運命を分けた場所
桶狭間古戦場公園の南側、大池の西側に今川軍の先発隊・瀬名氏俊(せなうじとし)の陣跡が残されています。
瀬名氏俊は今川義元を迎えるための本陣所を設営した後、大高城に向かっていたため、桶狭間の戦いに巻き込まれることなく生き残りました。
その後は武田家の家来になったと言われています。瀬名氏俊の子孫は徳川家の旗本になっています。ちなみに瀬名氏俊の弟と今川義元の妹との間の娘が築山殿、徳川家康の正室です。
この場所に立つと、運命の分かれ目を感じずにはいられません。もし瀬名氏俊が本陣に残っていたら、戦いの結果は変わっていたかもしれません。歴史の「もしも」に思いを巡らせるのも面白いですね。
戦評の松:幽霊の伝説が残る場所
瀬名氏俊陣地跡の前にある大池を挟んだ反対側に「戦評の松」があります。ここで瀬名氏俊が武将たちを集めて戦評定(いくさひょうじょう:合戦前の作戦会議)を行ったとされています。
現在は3代目の松が植樹されていますが、この場所には興味深い伝説があります。
旧暦の5月19日(現在の6月12日頃)になると、白馬に跨った今川義元の亡霊が現れるというのです。夕暮れ時にここを訪れれば、ひょっとして義元の幽霊に出会えるかもしれませんよ。
怖がりの方は、お昼の明るい時間帯がおすすめです。
長福寺:戦いの供養と鎮魂の寺
長福寺は桶狭間の戦いと深い関わりのある寺院です。境内には「桶狭間合戦供養塔」が建てられ、今川義元と家臣の松井宗信の木像も安置されています。
寺の参道脇には「桶狭間古戦場由緒地跡」の石碑があり、合戦の激しさを物語る「鞍流瀬川」の由来が刻まれています。
由来 合戦により人馬の血と雷雨でこの下の小川が真赤に染まり馬の鞍鎧などが流れその戦いの激しさは言を脱する、人はこの川を鞍流瀬川と呼ぶ、哀れな戦死者を寺の阿弥陀如来に託す為ここに浄土橋をかけ極楽往生を願った、この地も開発により川を埋め橋を失う、ここに記念碑を建て当時をしのぶ
桶狭間古戦場由緒地跡 鞍流瀬川浄土橋の石碑より
また、境内の「供養杉」は今川義元の首実検が行われた場所(首検証跡)とされています。
今川義元の茶坊主の林阿弥(りんあみ:茶の湯の手配や給仕などの雑用をする剃髪した武士)が捕らえられて、ここで首実検が行われたとのこと。
討ち取った首が本人かどうかを確認する作業ですが…首実検が終わった後、自分も殺されるんじゃないかって、林阿弥はふるえていたのではないでしょうか。
許されて国に帰った林阿弥は、主君の今川義元を弔うために阿弥陀如来像を持って長福寺を訪れました。堂内には阿弥陀如来像とともに今川義元の木造も安置されています。
静寂に包まれた長福寺を訪れ、戦国の世を生きた人々の思いに触れてみてください。
境内の奥にある弁天池は、かつて血に染まった刀を洗ったとされる「血刀すすぎの池」です。
この小さな池が赤く染まったのかと思うと、桶狭間の合戦は想像を絶する激しさだったんですね。今は蓮の葉で覆われた平和な景色が広がっています。
住所:名古屋市緑区桶狭間427
桶狭間神明社:戦勝祈願の場所
桶狭間神明社には、今川家臣・瀬名氏俊が戦勝祈願で奉献した酒樽が神社のお宝として残されています。
信長も合戦前に熱田神宮に参拝しているし、戦国大名たちは戦いで殺し合いをしながらも、神仏への信仰心は篤かったのは不思議な気もしますね。
本殿前には、4代尾張藩主徳川吉通が植えたとされる杉の木があります。枯れ木となった今も両側に残っていて、その横には2代目の杉が植えられています。
珍しい亀の形をした手水舎(ちょうずや)も見所の1つです。神社でお参りをして、戦国武将たちの祈りに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
住所:名古屋市緑区桶狭間古神明1520
桶狭間古戦場を効率よく巡るモデルコース
それでは、桶狭間の戦いの跡地を効率よく巡るモデルコースをご紹介します。歩いて回るコースと車で回るコースの2パターンをご用意しました。
歩いて巡るコース(約3時間)
- 名鉄有松駅をスタート
- 桶狭間古戦場公園(今川義元のお墓、ねずの木、首洗いの泉)
- 七ツ塚
- 瀬名氏俊陣地跡
- 戦評の松
- 長福寺
- 桶狭間神明社
- 名鉄中京競馬場前駅でゴール
【コースの特徴と注意点】
- 総歩行距離は約5km程度です。
- 起伏のある道もあるので、歩きやすい靴でお越しください。
- 途中、日陰の少ない区間もあるため、暑い季節は帽子や日傘、飲み物をお持ちください。
- 有松駅周辺にはコンビニや飲食店がありますが、コース途中にはあまりないので、必要に応じて事前に購入しておくと良いでしょう。
- 長福寺では参拝マナーを守り、静かに見学しましょう。
車で巡るコース(約2時間)
- 桶狭間古戦場観光案内所(駐車場あり)をスタート
- 桶狭間古戦場公園
- 七ツ塚
- 瀬名氏俊陣地跡
- 戦評の松
- 長福寺(駐車場あり)
- 桶狭間神明社
- 桶狭間古戦場観光案内所でゴール
【コースの特徴と注意点】
- 総走行距離は約10km程度です。
- 狭い道や一方通行の箇所があるので、カーナビだけでなく、事前に地図で確認しておくと安心です。
- 各スポット周辺の駐車場は限られているため、路上駐車は避け、指定の駐車場をご利用ください。
- 長福寺の駐車場は参拝者用です。長時間の駐車は控えましょう。
- 桶狭間古戦場観光案内所の駐車場は数に限りがあります。混雑時は近隣のコインパーキングもご検討ください。
- 車で移動する場合も、各スポットでゆっくり散策する時間を取ると、より深く歴史を感じられます。
どちらのコースを選ぶかは、体力や時間、季節によって検討してください。
歩いて巡るコースは、のんびりと風景を楽しみながら歴史を感じられます。車で巡るコースは、効率よく広範囲を回れる利点があります。
また、両コースとも、途中で立ち寄りたい場所があれば柔軟に変更することをおすすめします。自分たちのペースで桶狭間の歴史を楽しんでください。
アクセスと駐車場情報
電車・バスでのアクセス
- 名鉄名古屋駅から名鉄名古屋本線で「有松」駅下車(準急または普通電車)
- 有松駅から桶狭間古戦場公園まで徒歩約20分(約1.6km)
バス利用の場合
- 有松駅東側のイオンタウン有松前バス停から市バス「要町ー有松町口無池」に乗車
- 「幕山」バス停で下車(桶狭間古戦場公園まで徒歩3分)
栄からのアクセス
- 栄オアシス21西道路(テレビ塔側)20番乗り場から名古屋市バス「栄―森の里団地(高速1)」で「幕山」下車
車でのアクセス
- 名古屋第2環状自動車道:有松ICから南へ
- 伊勢湾岸自動車道:豊明ICから北西へ
- 東名高速道路:トヨタJCTから西へ
駐車場情報
桶狭間古戦場公園周辺には専用駐車場がありませんが、以下の駐車場が利用可能です:
- 長福寺駐車場:山門前に参拝者用無料駐車場あり(長時間の駐車は避けましょう)
- 桶狭間古戦場観光案内所横:5台分ほどの駐車スペースあり
戦評の松の通り近くに「桶狭間古戦場観光案内所」があり、その横に5台分ほどの駐車場があります。(観光案内所の前は駐車不可なので注意してくださいね。)
※駐車場前には「いくさの子」(「北斗の拳」を描いた原哲夫さんの漫画に出てくる)の織田信長像が立っています。とっても緻密でかっこいいですよ!
【注意】
コインパーキングは有松駅、中京競馬場前駅周辺にありますが、古戦場公園までは少し距離があります。
住所:名古屋市緑区桶狭間巻山2037
営業時間:10:00~16:00
※情報が変更されている場合もありますので、公式サイトなどで最新情報をご確認くださいね。
さいごに:桶狭間の戦いが残したもの
名古屋市緑区に点在する桶狭間の戦いの跡地は、460年以上の時を経て、少しずつその姿を変えています。しかし、この地に残る史跡や伝説は、戦国時代の激動の一幕を今に伝えています。
最近の研究では、信長の奇襲説よりも正面攻撃説が有力視されているそうです。
歴史の真実は時とともに変化することがありますが、この地で起こった激しい戦いと、そこで命を落とした人々の存在は紛れもない事実です。
ぜひ、桶狭間古戦場を訪れて、歴史の息吹を感じてみてください。そして、当時の人々の思いに思いを馳せてみてくださいね。