麒麟がくる ぎふ恵那大河ドラマ館のアクセス駐車場と大正村の明智光秀ゆかりの地

岐阜県恵那市の大正ロマン館【麒麟がくる】

岐阜県恵那市明智町は、古い町並みが残る「日本大正村」として知られていますが、明智光秀の生誕地と考えられている場所の1つで、光秀ゆかりの史跡などが残されています。

村の高台にある大正ロマン館には「大河ドラマ館」がオープンしました。光秀ゆかりの地を巡りながら、戦国時代と大正時代をいったりきたりしてみてはいかがでしょうか。

この記事では、ぎふ恵那大河ドラマ館のアクセス・駐車場と大正村に残る明智光秀ゆかりの地、龍護寺と八王子神社、於牧の方の墓所についてご紹介します。

車で行くにも電車で行くにも、ちょっと遠いんですが、見どころもたくさんありますので、ゆっくり歩いて大正村を堪能してくださいね。

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ぎふ恵那大河ドラマ館

大正ロマン館1階にオープンした大河ドラマ館では、「麒麟がくる」に登場する衣装や小道具が展示されています。(ドラマの進行に合わせて、展示内容は追加・変更されるようです。)

3つのゾーンに分けられた部屋には、フォトスポット、登場人物紹介、ドラマシアターとなっています。光秀公甲冑も展示されていますよ。

特別展示として、恵那市での合戦の歴史と山城について紹介されています。

恵那市にある「岩村城」は、織田信長のおばにあたる「おつやの方」が女城主として守り、信長と明智光秀が訪れたこともあるお城です。

歴史はいろんなところで交差して、つながっているから面白いんですね。

ぎふ恵那大河ドラマ館(大正ロマン館)
住所:岐阜県恵那市明智町1304-1
開館時間:9:00~17:00(入館受付は16:30まで)
入場券:大人400円 大正ロマン館共通券 大人570円

大正村へのアクセスは?

電車・バスでの行き方

名古屋からJR中央線で「恵那駅」まで行きます。快速で約1時間ほどかかります。恵那駅から明智鉄道に乗り換えて、終点「明智駅」まで行きます。約50分ほどかかります。

明智駅から歩いてまわることができますが、アップダウンが多い道です。歩きやすい靴でお出かけくださいね。

於牧の方の墓所の場所はわかりにくいかもしれません。大正浪漫亭横にある観光案内所で地図をもらってから行かれることをおすすめします。

車の場合・駐車場は?

中央自動車道恵那ICより国道257号線、国道363号線を経由して、40分ほどかかります。瑞浪ICから県道20号線、国道363号線経由でも40分ほどかかります。

くねくねとした山道が多いので、気を付けて運転してくださいね。

駐車場は大正村浪漫亭周辺に無料の駐車場があります。駐車場から大河ドラマ館までは450mほど離れていて、7分くらい歩きます。

大正村浪漫亭
住所:岐阜県恵那市明智町456

大正村に残る明智光秀ゆかりの地

明智町(日本大正村)は、レトロモダンな大正時代の建物が、街の中に点在していて、黒い羽目板の蔵や、当時の調度品がそのまま残された村役場など、レトロ感いっぱいです。

昔懐かしい面影が残る大正時代にタイムスリップ、も楽しみながら、光秀ゆかりの地を散策してみましょう~。

明智遠山氏の菩提寺・龍護寺

龍護寺は、美濃国恵那郡に勢力を持ち、明智城を拠点とした遠山氏が、1596年に明智城の北に建立した遠山家の菩提寺です。

龍護寺前に紹介されている遠山家の家系図では、明智遠山家の「遠山景行」が、土岐明智家の「明智光安(光秀の叔父)」と同一人物とされていました。

遠山景行としての人生と、明智光安としての人生、それぞれ判っているのに同一人物ってあり得るんでしょうか?

斎藤義龍に明智城(可児市)を攻撃され、討死したと言われている明智光安は実は生き残っていて、明智遠山家を継いだ? なんだか腑に落ちませんよね~。

光秀の出生地がわからないと同じく、記録がない、つじつまが合わない人たちの人生がたくさんあって、「そうなんじゃないかな?」って想像されているんですよね。

事実を知りたいけれど、いつまでも歴史ミステリーのままのほうが、ロマンがあっていいような気もします。

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龍護寺の明智光秀供養塔

山門の入り口右にある、明智光秀の供養塔↑です。供養塔は中ほどから斜めにひびが入っているそうですが、普段は見る事ができないようです。

供養塔の前には桔梗紋と、肖像画のコピーが置かれていました。供養塔左手に小さなお墓が並んでいましたが、どなたのものかはわかりませんでした。

ある夜、落ち武者がやってきて、「無念の主君光秀公の永代供養を」と、光秀の直垂(ひたたれ・武家社会の男性用衣服)を持参したそうです。

その直垂を4隅に縫いこんだ袈裟が、龍護寺の寺宝として伝えられていて、光秀まつりの時に一般に公開されています。

龍護寺の如意輪観音菩薩像

明智遠山氏代々の墓には2座の如意輪観音菩薩像が建てられています。片足を立てて座り、頬杖をついているお姿ですが、お顔は全然違っています。

左側は遠山伊次公の後室「凉光院」の像で、丸に二つ引両の紋、右側は遠山景逵公の娘の像で、丸に桔梗紋がつけられています。

明智遠山家の系図をたどっていくと、遠山金四郎(北・南町奉行の遠山の金さん!)の名も出てきます。光秀の妹の息子の娘が「春日局」、歴史に名を残す人が何人もいるってすごいですよね。

龍護寺
住所:岐阜県恵那市明智町1389-1
電話番号:0573-54-2540

八王子神社

八王子神社は、949年平安時代に創建された、千年以上の歴史を持つ神社です。

鳥居をくぐると参道階段が伸びていて、長い階段の上に唐門(明智城の城門を移築したものとされています)があり、そこからさらに続く参道の奥に拝殿があります。

当時の拝殿は、明智城とともに焼け落ち、現在の拝殿は1648年に、領主だった遠山伊次公によって建てられました。遠山家の家紋があちこちに見られます。

拝殿前に光秀が建立したと伝わる、万葉集の歌人をご祭神にした「柿本人麻呂社」と、光秀手植えの楓があります。

境内には「えんむすびの大杉」もあり、年輪を重ね、積み重ねた気持ちが伝わるところとして祀られています。

八王子神社
住所:岐阜県恵那市明智町1400-1

光秀の母・於牧の方の墓所

道路から少し山に入ったところに光秀のお母さん・於牧の方の墓所があります。墓所の石塔は、「悲運な最期をとげた於牧の方を偲んで、里人が建立した」とされています。

光秀は信長公に丹波国平定を命じられたものの、丹波八上(やかみ)城の波多野氏が激しく抵抗し、攻めあぐんでいました。光秀は兵糧攻めにして追い込み、自分の母・於牧の方を人質として差し出し、開城させます。

光秀は助命を約束して、波多野氏を安土城へ送ったものの、信長が処刑してしまったために、それを知った波多野氏の家臣が於牧の方を磔にして惨殺した…というものです。

ただ、この史実は信ぴょう性がなく、光秀が本能寺の変を起こした動機として後日創作されたと考えられています。となると、於牧の方は惨殺されていない??? 

光秀が「本能寺の変」を起こしたことは事実なので、「光秀の母」と知られぬよう、ひっそりと息をひそめて暮らしていたのかもしれませんね。石塔には「南無阿弥陀仏」とだけ刻まれています。

石塔の横には、樹齢40年を超える「高野槙」が神木として祀られています。

於牧の方の墓所
住所:岐阜県恵那市明智町1175-1
※数台停められる駐車場があります。

さいごに

岐阜県恵那市にある、ぎふ恵那大河ドラマ館のアクセス・駐車場と大正村に残る明智光秀ゆかりの地、龍護寺と八王子神社、於牧の方の墓についてお伝えしました。

行くにはちょっと時間がかかるエリアですが、レトロ感がステキな写真スポットがいっぱいあります。のんびりお散歩するには、おすすめのエリアです。

出生地もわからない明智光秀のゆかりの地はあちこちにあって、どこが本当なのかわからないけれど、「麒麟がくる」を1つのドラマとして、楽しみましょう~。

「大正村」に行ったら寄りたい!周辺の観光情報もありますので、ぜひ読んでみてくださいね!
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