名古屋市守山区の龍泉寺には、龍泉寺城というお城があるのをご存じですか?
織田信長の弟・信行が、龍泉寺の中に築城したお城なんですが、あまり知られていなくて、知る人ぞ知るお城になっています。
この記事では、名古屋市守山区竜泉寺の中にある龍泉寺城と、龍泉寺の埋蔵金、アクセスと駐車場についてご紹介します。
龍泉寺は戦国武将たちが出入りした、伝説が残るお寺ですが、現在は猫たちが集うねこ寺です。ぜひ、かわいい猫たちに癒されてくださいね。
龍泉寺の中にある龍泉寺城
龍泉寺城の入場料は?
龍泉寺の本堂の右手から奥に入る通路があり、その手前で拝観料(100円/1人)を納めます。この一角だけ、なんとなく昭和の雰囲気が残っています。
中に入ると、整備された庭園と、標高72.1mに建つ龍泉寺城、奥に展望台があります。知名度がイマイチな龍泉寺城ですが、金のしゃちほこが守る堂々たるお城です。
昭和39年に復元された龍泉寺城は、織田信長の弟・信行の居城でした。龍泉寺は平安時代初期の開基なので、もともとあったお寺の中に築城した、ということになります。
1558年3月、信長に敵対していた信行が竜泉寺城の築城を始めました。その2年前(1556年)に美濃の斎藤義龍が父・道三を討ち果たし、信長の敵対勢力を支援するようになっていました。
その年の11月、信長の病気見舞いに清洲城に赴いた信行は、そのまま謀殺されてしまいます。龍泉寺城は廃城となってしまいました。
その後、1584年に織田・家康連合軍と秀吉軍が睨みあった「小牧・長久手の戦い」が勃発、秀吉軍が龍泉寺城に陣を敷きました。秀吉軍は龍泉寺城から退却するときに火を放ち、城は消失してしまいました。
龍泉寺城の周辺には、秀吉軍が戦いに備えて掘ったとされる空堀があるのですが、現在は立ち入り禁止になっています。
三層の模擬天守の中は「宝物館」になっています。
龍泉寺宝物館の円空仏は必見!
龍泉寺城の入り口から階段を上がると、2階が宝物館になっていて、円空仏の馬頭観音があります。頭の上に馬の化仏を付けた観音さまの大きさは112cm、見開いた眼と口角をあげてほほ笑むお顔が印象的です。
左右には熱田大明神と天照皇大神が、同じくニヤッとほほ笑んでいます。その横には、200体の木端仏が並べられています。
円空さんは旅をしながら、1本の木から一刀彫りで仏像を彫り、残りの木くずから木端仏を彫って、たくさんの仏像を残したお坊さんです。
仏像はすべて口角が上がってて、微笑んでいるのが特徴です。龍泉寺には約500体の円空仏が残されています。
他にも、左手に宝珠を持つ延命地蔵菩薩像や八方睨みの虎の画、明治39年に見つかった、小判が入っていた壺なども展示されています。
天井からは龍が睨み、天井画が残されています。テーブルの上には昔懐かしの黒電話が置いてあって、これも展示物?と思っちゃいました。
もしかして内線用として使われている?と思ったんですが、電話線はどこにもつながっていませんでした。昭和生まれにとっては懐かしい黒電話です。
※龍泉寺城(宝物館)はこのフロアのみで、階段はありますが、上階へ上がることはできません。
開館日:日曜・祝日のみ 9:00~15:00
拝観料:100円
龍泉寺城の庭園と展望台
龍泉寺城の西側にある展望台からは、庄内川を挟んで春日井市と小牧市をはるか遠くまで見渡すことができます。中央に見える煙突は、王子製紙の煙突です。
きっと、龍泉寺城から織田信行も豊臣秀吉も、遠くまで広がる濃尾平野を眺めていたんでしょうね。当時は小牧山城や金華山の岐阜城まで見えたのではないでしょうか。
1560年の桶狭間の戦いの際に、信長が清洲城防衛線のために、龍泉寺城に兵を派遣したのも頷けます。
龍泉寺城の下にある庭園には、秋でなくても赤い葉を付けたもみじ(猩々もみじ?)が、緑の中に映えていました。
ここだけ時間の流れが遅くなってるような雰囲気の、とっても落ち着ける庭園です。
龍泉寺は埋蔵金で再建された?
龍泉寺の境内の見どころは?
龍泉寺は平安時代に最澄(伝教大師)によって創建された天台宗のお寺です。ご本尊には、厄除けや無病息災などのご利益があるとされる馬頭観音像が祀られています。
龍泉寺は小牧長久手の戦いの際に放火で焼失、1598年に再建したものの、明治39年にまたまた放火によって多宝堂と仁王門、鐘楼以外は焼失してしまいました。
けれども焼け跡から壺に入った慶長小判100枚が発掘され、それを基金として、明治44年に本堂が再建されました。
慶長小判は江戸時代初期の小判です。いったい誰がお寺に埋めたのか、不思議ですよね。誰も知らないまま300年ちかくたって発見されるなんて、まだどこかに埋蔵金が眠っているかも?って思っちゃいます。
大日如来像が祀られていた多宝塔も小牧長久手の戦いで焼失、慶長3年(1598年)、豊臣秀吉が死去した年から復興されました。現在は阿弥陀如来が安置されています。
明治40年に再建された鐘楼の鐘は、戦時中の金属類回収で供出、現在の鐘は昭和34年に「平和の鐘」として寄進されたものです。1打10円で誰でも鐘を撞くことができます。
仁王門は、天井裏から見つかった板札より、1607年(江戸時代)の建築とされていますが、室町時代の建築物をその年に移設された可能性もあるそうです。国の重要文化財に指定されています。
龍泉寺は名古屋城の鬼門の方角にあり、徳川家康から名古屋城の鎮護として、尾張四観音の1つと定められました。その年の恵方にあたるお寺では盛大な節分会が行われます。
※2024年の恵方である龍泉寺ですが、今年の豆まきや副餅投げは行われません。
※荒子観音には、たくさんの円空仏が保存されています。
龍泉寺の御朱印と猫たち
龍泉寺の御朱印は、山門に向かって左手にある白い建物、寺務所(龍泉寺霊園管理事務所)でいただけます。御朱印は2種類あります。
- 開運閣
- 尾張三十三観音霊場 第25番札
別建物でちょっと入りにくいなぁと思ったんですが、入り口には猫たちが、まったりとくつろいでいました。近くに寄っても「我関せず」って顔でじっとしています。
実際何匹いるのかは不明なんだとか。毛がふさふさしてる猫もいて、捨て猫?ノラ猫?よくわからないんですが、お寺でのんびり過ごしてる猫たち目当ての参拝者も多いそうです。なんだか癒されますよね。
龍泉寺の公式HPでも、「竜泉寺の猫たち」と紹介ぺージがあるくらい、とっても愛されてる猫たちです。
住所:名古屋市守山区竜泉寺1-902
電話番号:052-794-3647
名古屋市龍泉寺のアクセスと駐車場は?
竜泉寺へ電車・バスで行く
名古屋駅からJR中央線で「大曽根駅」で下車し、名古屋ガイドウェイバス「ゆとりーとライン」に乗り換えて「竜泉寺口バス停」で下車します。
バス停の北側がある階段を上がって、そのまま道なりに坂道を上がって行くと、龍泉寺の山門前に到着します。徒歩約3分です。
ゆとりーとラインは、交通渋滞が起こりやすいエリアは高架専用軌道を走行し、時刻表通りに運行されるバスです。一般道路を走るバスは渋滞によって到着時間が左右されますが、信号のない高架道路では、一定速度を保って運転されます。
ゆとりーとライン「大曽根駅」から乗車した場合、終点はJR中央線の「高蔵寺駅」です。
龍泉寺の駐車場は?
名古屋市北区から東へ、県道202号線→県道15号線(竜泉寺街道)を走っていくと、「竜泉寺口」の交差点があります。
その先に龍泉寺と書かれた看板と押しボタン信号の横断歩道がある交差点があるので、横断歩道手前の道を左折して、細い道に入ります。
そのまま道なりに北へ行くと、200mほどで龍泉寺に到着します。
龍泉寺の正面に向かって、右側に参拝者用の無料駐車場があります。山門から70mほど手前の西側にも、駐車場が設置されています。
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さいごに
名古屋市守山区にある龍泉寺城と龍泉寺の御朱印、アクセスと駐車場についてお伝えしました。
龍泉寺の東側には、天然温泉のスーパー銭湯「竜泉寺の湯」があり、いつも満車ってくらい繁盛しています。2018年12月にリニューアルオープンし、高級感あふれる作りになって、贅沢な気分が味わえます。
龍泉寺に行かれる時には、ぜひタオルを持ってお出かけくださいね。