名古屋(覚王山)揚輝荘の南園聴松閣と北園には何がある?アクセスと駐車場は?

名古屋市千種区揚輝荘北園の白雲橋 博物館・工場見学

名古屋市千種区、日泰寺の東側にある揚輝荘(ようきそう)は、大正時代から昭和にかけて建てられた、松坂屋初代社長の別邸です。

かつては1万坪という敷地でしたが、現在は北庭園と南の聴松閣が現存、公開されています。旅行先で感銘を受けた、インドやアジア様式を取り入れた地階のホールは必見です。

この記事では、

  • 覚王山揚輝荘の南園・聴松閣の見どころは?
  • 覚王山揚輝荘の北園の庭園の見どころは?
  • 揚輝荘のアクセスと駐車場は?

についてご紹介します。

こだわりが詰まった揚輝荘には見どころがいっぱい! どんな生活をしていたのか想像しながら、ゆっくりまわってみてくださいね。

揚輝荘の南園・聴松閣の見どころは?

揚輝荘の聴松閣は趣向を凝らした迎賓館

名古屋市千種区揚輝荘の聴松閣

1937年(昭和12年)に完成した聴松閣(ちょうしょうかく)は、ベンガラ色がぱっと映える山荘風の外観です。石積みの柱があるポーチや、自然の木を壁にあしらった外壁など、とっても斬新なデザインですよね。

当時では珍しい車寄せがあり、中国で購入したと言われている、トラの石像が玄関前で睨みをきかせています。

車寄せの上には大きな木枠の照明が付いています。床は一部ガラスになっていて、地下への明りとりになっています。

玄関の床は、小口切りされた木が敷き詰めになっていて、木の年輪が模様を作っています。木の隙間はモルタルと雲母で固められています。

車寄せと玄関だけでも、こだわりを感じる部分がいっぱいですね。

名古屋市千種区揚輝荘の聴松閣の旧食堂

玄関を入って正面にある旧食堂には、古代の瓦を埋め込んだ暖炉があり、飾り棚の上には、いとう呉服店の商標デザイン「いとう」の透かし彫りがはまっています。

いとう呉服店は1611年名古屋で創業しましたが、創業者・伊藤祐道は1615年の大坂夏の陣で戦死したため閉店、その後、1659年に祐道の子が呉服小間物問屋を開業しました。

1740年には尾張藩の呉服御用となり、1768年上野松坂屋を買収し江戸へ進出、明治に入ってからは大阪進出も果たし、1910年(明治43年)、伊藤祐民(いとうすけたみ)が名古屋栄に松坂屋百貨店を開業します。

1933年(昭和8年)55歳で仕事をやめ、翌年に4か月のインドやアジアの仏跡巡拝の旅に出ました。昭和の初めに船で海外旅行に行くって、勇気があるというか、好奇心が旺盛な人だったんですね。

その旅行が聴松閣に大きな影響を与えています。建築設計は竹中工務店が請け負いました。

名古屋市千種区揚輝荘の聴松閣客間

2階には書斎やサンルームや暖炉があるイギリス山荘風客間(写真↑)があります。丸い窓とその下のソファーは、海外旅行で利用した一等船室のイメージなんだとか。

寝室は中国風の装飾で、天井には鳳凰、暖炉の上には木鶏、まるで中国の王宮の部屋のような印象です。1部屋1部屋が、イメージが全く違う部屋になっていて、床の板張りだけ見ても模様が全部違っています。

階段の手すりの下(手すり子)にも透かし彫りが入っていたり、細かい細工も手を抜いていない、こだわった造りに圧倒されます。柱や床、建具の1つ1つすべてが見どころですよ。

聴松閣の地階はアジアンチックな舞踏ホール

名古屋市千種区揚輝荘の聴松閣地下のホール

揚輝荘の地下1階は、伊藤祐民が船でアジアを旅行したときに見たアジアンテイストをとりいれた部屋になっています。

地階ホールの左右には、通訳として旅行に同行したインド人留学生が描いた、インドのアジャンダ洞窟を写した壁画があります。写真があったとはいえ、正確な写し絵に驚いてしまいます。

半円の舞台がある舞踏ホールの石張りの柱には、インドのアグラ城の宮殿と同じく、輝石をはめ込んだ模様が描かれています。これも、正確に再現されています。

名古屋市千種区揚輝荘の聴松閣地下の暖炉

舞台の正面には、暖炉の上にカンボジアのアンコールトムにある踊り子のレリーフと、アンコールワットにある連子窓(そろばんの珠が連なったような柱がついている窓)が再現されています。

現地にあるものを買って、持って帰ってきて貼りつけたかと思うくらいの再現度です。これを請け負った職人さんは、ずいぶん苦労されたのではないでしょうか。

暖炉の左側には小さな部屋があり、タイル張りの中の女神像が、丸い窓から差し込む朝日に照らされるように作られています。地下なのに、窓の外を掘り下げて陽が差し込む設計になっているんです。

地下を感じさせない明るさは、柱や壁の彫刻をくっきりと浮かび上がらせて、とってもぜいたくな造りを際立たせています。

さらに地階には総延長170mのトンネルがあり、内部はイスラム様式のレリーフや壁画で飾られていました、マンションの建設時に取り壊され、現在は入り口部分のみが残されています。

揚輝荘 
住所:名古屋市千種区法王町2-5-17(南園)
 名古屋市千種区法王町2-5-21(北園)
電話番号:052-759-4450
開館時間:9:30~16:30
休館日:月曜日(祝日の場合は翌平日)・年末年始(12/29~1/3)
聴松閣入場料:一般300円 中学生以下無料 (北園は無料)

揚輝荘の北園は四季が楽しめる庭園

名古屋市千種区揚輝荘の北庭園

北庭園は真ん中に池があり、池の周りをぐるっと回って庭を鑑賞する「池泉回遊式庭園」になっています。池には京都の修学院離宮の千歳橋を模した「白雲橋」がかかっています。

修学院離宮は江戸幕府が造営した離宮で、現在も「皇室用財産(所有者は国)」として、見学するには宮内庁に事前申し込みをする必要があります。

一般公開されていない離宮の橋は、禁裏御用を務めていた竹中工務店の社長が見て参考にしたのでは?と考えられています。

名古屋市千種区揚輝荘の北園伴華楼

庭園の北にある、バンガローをもじった「伴華楼(ばんかろう)」は、尾張徳川家から譲り受けた茶室付き和室に洋室を増築して移築されました。

1階は洋室、2階が和室なんですが、外壁は石積みやうろこ壁、市松模様の煙突とモダンな印象です。ガイド案内で中を見学することができるんですが、新型コロナ感染防止のため、ガイド案内は中止されています。

名古屋市千種区揚輝荘の北園にある豊彦神社

伴華楼の先には、昭和2年に建てられた「豊彦稲荷」があります。庭の緑の中に、朱塗りの鳥居がぱぁっと映えています。

松坂屋名古屋店本館の屋上と、大阪の松坂屋高槻店の屋上にも、豊彦神社が鎮座されているとのこと。豊彦稲荷は松坂屋と従業員の繁栄を願う、企業の神社なんですね。

池の横には、大正7年から始まった揚輝荘の造成で、最初に建てられ「三賞亭(さんしょうてい)」と呼ばれる茶室があります。雪、月、花の3つを観賞するための家で三賞亭と名付けられたそうです。

桜や新緑、紅葉、落葉と、四季の移り変わりを楽しめる茶室は、どんなときも、見る人を慰め、勇気づけてくれたはずです。

約1万坪の敷地に30以上あった建物の大半は、1945年の空襲で焼失、現在残っている北園と南園は名古屋市の有形文化財となっています。

覚王山揚輝荘のアクセスは?

揚輝荘へ電車で行く

名古屋市千種区揚輝荘の北園入口
揚輝荘北園入口

名古屋から地下鉄東山線(藤が丘行き)に乗り、約15分「覚王山駅」で下車します。1番出口から北にある、日泰寺参道を歩いて、歳覚寺(弘法堂)を過ぎた次の曲がり角を右折します。

そのまま道なりに進んでいくと、揚輝荘南園の入り口に入ります。

北園へは、日泰寺の山門まで行き、手前の道を右折します。坂を下った先の突き当りを左折すると、すぐ右手側に北園に入る入り口があります。

北園に入る入り口は、グランドヒルズ覚王山法王町のマンションの入り口と兼用です(写真↑)。その入り口の北側が揚輝荘北園、南側はマンションで、その先に細い道がつながっています。

建物の横をすり抜けるような細い道を歩いて行くと、揚輝荘南園につながっています。

揚輝荘の駐車場は?

揚輝荘の北園・南園の駐車場はありません。近くのコインパーキングを利用してくださいね。

名鉄協商 山門町第2
住所:名古屋市千種区山門町1-19 (7台)
料金:40分200円 最大料金8:00~18:00 700円
※日泰寺参道沿い、毎月21日は縁日のため駐車不可。
 
 
名鉄協商 山門町
住所:名古屋市千種区山門町1-83 (16台)
料金:60分200円 最大料金8:00~18:00 700円
※揚輝荘南園近く。
 

エスケーアイパーク法王町

住所:名古屋市千種区山門町2-5-12 (181台)
料金:20分100円 最大料金12時間800円
※県道30号線沿い。

さいごに

名古屋市千種区にある揚輝荘の南園・聴松閣と北庭園の見どころやアクセス駐車場についてお伝えしました。

松坂屋初代社長は、エレベーターガールや洋装の制服を取り入れたり、国際交流活動(留学生の受け入れ)などの社会活動、名古屋観光ホテルを創業するなど、たくさんの功績を名古屋に残しました。

新しいものをどんどん取り入れた、大きなスケールを感じる揚輝荘を隅々までじっくり味わってみてくださいね。

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