日進市にある岩崎城は、昭和62年に建設された模擬天守(お城に関しての資料がなく、こんなお城があったんじゃないかな~と想像で建てられている天守)です。
関ケ原の合戦(1600年)以降、岩崎城は廃城となり、そのまま竹藪など雑林に覆われて300年以上整備されないままでしたが、昭和60年から発掘調査が行われました。
この記事では、日進市にある岩崎城の歴史と入場料、見どころについてご紹介します。
岩崎城の戦いはあまり知られていませんが、長久手の戦いで家康に勝利をもたらす結果となった、16歳の武将の武勇伝の舞台を訪ねてみてくださいね。
日進市の岩崎城の歴史は?

岩崎城の最も古い記録では、室町時代末期(築城年代は不明)に築城され、織田信秀(信長の父)の支城として使われていました。
1529年に松平清康(家康の祖父)が岩崎城を攻め落としたものの、1535年に清康が暗殺されます。
織田、松平家の勢力が及ばなくなったので、本郷城に住んでいた丹羽氏清が岩崎城を占拠して移り住み、その後4代にわたって居城としました。
1551年、信長が17歳の時、岩崎城を攻撃しようとしたんですが、丹羽軍の待ち伏せにより敗退したという記録が残っています。真偽のほどは確かではないようです。
戦国時代の「一族の武勇伝」として、大げさに話を盛ったり、想像して書かれた記録が多いので(武将はみんな見栄っ張り?)、真実は今となっては知りようがないんですよね。
1582年に秀吉対織田信雄&家康連合軍の戦いが勃発、当時の岩崎城主の丹羽氏次(にわうじつぐ:兄ちゃん)は、岩崎城を弟の氏重(うじしげ:当時16歳)に任せて家康方として小牧へ向かいました。
秀吉方は「家康が小牧城にいるうちに岡崎城を奇襲しよう」作戦を実行するべく進軍、岡崎へ向かうルート上にある岩崎城は、そのまま素通りする予定でした。
しかし、氏重は「敵軍を見過ごすのは末代までの恥」と決死の覚悟で攻撃を仕掛け、先方の池田恒興(いけだつねおき)の軍と応戦、池田軍を撃退し足止めに成功します。
その後、氏重は城外へ出て奮闘したものの、後続の森長可(もりながよし)軍の銃撃により討死にし、落城。岩崎城の氏重と城に残っていた守備兵約300人は全員討死にしてしまいます。
その頃、丹羽氏次(兄ちゃん)が先導して追いついた徳川軍が、秀吉軍の最後尾に追いついて戦いが始まり、岩崎城を落とした池田軍が引き返して、長久手で決戦となりました。
長久手の戦いは秀吉方の池田恒興、森長可ら有力武将が戦死して、徳川軍の勝利に終わりました。この時、秀吉軍の死者は2,500余人、徳川軍は590余人と言われています。
岩崎城が落城後、再建されたかどうかは分かっていません。氏次(兄ちゃん)は、1600年の関ケ原の合戦で家康方に参戦、功を上げ、三河国伊保(現在の豊田市)の初代藩主となります。岩崎城はこの時点で廃城となりました。
長久手の戦いの舞台となった岩崎城は、その後放置され、1910年明治になってから、旧尾張藩士らによって、岩崎城の戦いで命を落とした兵のための「表忠義」の記念碑が建てられました。
そして今も毎年4月に慰霊祭が行われています。
岩崎城の入場料は?
岩崎城と岩崎城歴史記念館は入場無料

岩崎城と隣接する岩崎城歴史記念館は入場無料です。3層4階の岩崎城ヘは靴を脱いで上がります。
入り口に入ると正面に甲冑が展示されています。1階・2階は階段周りの通路に、長久手の合戦や城主丹羽氏に関する資料が展示されています。
最上階まで上がると日進市を見下ろす展望になっています。金網で囲まれているのが、ちょっと残念ですが、小さいお子さんには安心ですね。
発掘調査では瓦は見つかっておらず、お城は木造平屋建てで屋根は板葺き、またはカヤ葺きのようなものと考えられています。きっと、現在の岩崎城とは全然違う姿だったんでしょう。
でもでも、現在の岩崎城は違和感なく風景に溶け込んでいて、岩崎の戦いと、一生懸命に生きた武士たちを伝える役目を果たしています。
岩崎城の御城印は?

岩崎城の御城印は、岩崎城歴史記念館の事務所受付で頒布されています。令和3年版の御朱印には、岩崎城のマスコットキャラクター「かんすけくん」が描かれた登城記念証で、200円(税込)です。
岩崎城内は見どころは?
岩崎城歴史記念館

1階部分に常設展示室があり、岩崎城の歴史や、日進市内で発見された古墳や古窯について知ることができます。
岩崎城の戦いについてジオラマで再現してあり、とってもわかりやすいのでおすすめです。甲冑の着用体験ができるようですが、当面の間中止となっていました。
2階ではイベントや特別展示、歴史講座が行われる多目的ホールになっています。※館内は撮影中止なので、注意してくださいね。
岩崎城の隅櫓跡

岩崎城の南側に、礎石が1間(181cm)の間隔で5つずつ並んだ「隅櫓跡」が見つかっています。岩崎城築城初期のもので、埋め戻された後、現在は復元されたものを見ることができます。
その近くには、直径2.4mの素堀の井戸跡も見つかっています。曲輪や堀、土塁跡も残されていて、小さいながらもお城としての機能が備わったお城だったことがわかります。
岩崎城の水琴窟

二の丸庭園横に作られている「水琴窟(すいきんくつ)」、水をすくって手前の白い石にかけると、水滴の音が琴の音色のように聞こえる仕掛けです。
釣鐘状のカメの底に穴をあけて、穴を上にしたときに下に水がたまるようにカメの口を塞いで、地中に埋められています。
そこに水が落ちると、水滴がカメの中で反響していい音が聞こえてきます。カメの形状や材質によって音が変わります。左右の白い石に水をかけると、それぞれ違った音が楽しめますよ。
音を聞くための竹筒も設置されています。…でも、「蜂に注意」が気になって、竹筒に耳を傾けるのは怖くてできませんでした。
城内に何か所か「蜂に注意」が貼られていて、ちょっと不安になりましたが、7月に出かけたときは蜂の姿は全く見かけませんでした。
蜂が攻撃的になる時期は7月~9月頃なので、蜂を見かけたら注意してくださいね。
住所:日進市岩崎町市場67
電話番号:0561-73-8825
開館時間:9:00~17:00
休館日:月曜日(祝日は開館)、年末年始(12/28~1/4)、資料調整日
観覧・駐車場:無料
※情報が変更されている場合もありますので、公式サイトなどで最新情報をご確認くださいね。
さいごに
日進市にある岩崎城の歴史と入場料、見どころについてお伝えしました。
家康は岩崎城の戦いのおかげで、長久手の戦いで圧倒的な軍事力を持つ秀吉軍に勝利することができました。
結果的には、秀吉の戦略に負けて秀吉配下の武将となりましたが、長久手の戦いの勝利は、家康を常に優位にたたせ、徳川幕府を開くための大きな起点になりました。
長久手の合戦場に行かれた時は、ちょっと足をのばして、岩崎城にもぜひ寄ってみてくださいね。
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