覚王山のおしゃれなエリアを歩いていると、ふと小高い丘の上に鳥居が見えてきます。それが城山八幡宮。
「縁結びの神社でしょ?」と思っている方、ちょっと待ってください。
実はここ、末森城(すえもりじょう)の跡地なんです。織田信長のお父さん・信秀が築いた城で、しかも信長と弟・信行が激突した「末森の戦い」の舞台にもなった場所。
縁結びの神社として有名なのに、その足元には戦国時代の熱いドラマが眠っている。
歴史を知ってから歩くと、鳥居をくぐる一歩目からぜんぜん違って見えてきます。覚王山散歩のついでに、ちょっと戦国時代にタイムスリップしてみませんか?
末森城とは?

末森城を築いたのは、織田信秀。そう、あの信長のお父さんです。
1548年(室町時代末期)、信秀はそれまでの拠点だった古渡城(現在の東別院)から居を移し、この地に末森城を築きました。
標高43mの丘の上に構えた城で、周囲を深い空堀でぐるりと囲んだ、守りを重視した造りです。
信秀ってじつはすごい人で、信長が天下を目指せたのも、この父親が尾張の基盤を作ってくれたから。末森城はその信秀が最後に選んだ城でもあります。
なぜ重要だったの?
末森城の立地を地図で見ると、「なるほど」となります。
当時の尾張にとって東の方向は、今川氏(駿河)の勢力圏に近いエリアでした。信秀が末森城を築いたのは、ズバリ今川対策。
尾張東部の守りを固めるための拠点として、この丘の上を選んだわけです。
古渡城が商業と交通の要所を押さえる「攻めの城」だとしたら、末森城は東からの脅威を睨んだ「守りの城」。信秀の戦略眼がよく見えます。
信長と信行の「末森の戦い」とは?

ここが、この場所で一番熱いエピソードです。
信秀が亡くなったあと、末森城は信長の弟・織田信行が受け継ぎます。でも信行、兄・信長への対抗心がめちゃくちゃ強かった。
「なんで、あのうつけの兄が跡継ぎなんだ」と思っていたのか、家臣たちをまとめて謀反を起こします。
このとき信行の味方についたのが、あの柴田勝家。後に「鬼柴田」と呼ばれる猛将です。信長軍vs信行・勝家連合軍の戦いが、1556年、この末森城周辺で繰り広げられました。
これが「稲生の戦い(末森の戦い)」です。
結果は——信長の勝利。
このとき信長は、敗れた信行や勝家を処罰せず、むしろ許してしまうんです。この器の大きさ(あるいは策略の深さ)が信長らしい。
その後、信行は再び謀反を企て、最終的には1558年に清洲城で信長に討たれます。
末森城はその後、廃城になりました。
……大河ドラマのワンシーンみたいな話ですよね。そんな舞台が、今は静かな神社になっているというギャップが、たまらないです。
現在の末森城跡はどうなっている?

現在は城山八幡宮になっています。
廃城後、城内にあった神社と末森城の東北にあった八幡宮が合祀されて、今の「城山八幡宮」になりました。
「城跡がそのままお寺・神社になる」というパターン、名古屋には多いんですが、ここもまさにそれ。
東別院(古渡城跡)と同じ流れですね。信秀ゆかりの城が2つとも、そろってお寺と神社になっているのがなんか面白い。
東別院は古渡城跡だった?織田信長ゆかりの歴史をわかりやすく紹介
城跡らしさは残っている?

「城跡っていっても、石碑があるだけでしょ?」と思ったら大間違いです。
城山八幡宮、地形がすごいんです。
一の鳥居から階段を上がっていくと、丘の上にある境内へとたどり着くんですが、この高低差がまさに城の面影。標高43mというのは、平地に慣れた名古屋市内ではなかなかの高さです。
そして境内をぐるっと囲むように、幅10〜16m、深さ7mの空堀が今でも残っています。空堀に架かる橋を渡って二の鳥居をくぐる——という動線、じつは城の構造そのままなんです。
わかると「おお!」ってなります。
一の鳥居を上がった右手には「末森城跡」の石碑もあり、曲輪(くるわ)の跡も確認できます。
「完璧な城の遺構ではないけれど、地形を読みながら歩くと面白い」——これが末森城跡の正しい楽しみ方だと思っています。
※城跡の北西にあった信秀の廟は、桃厳寺に移されて祀られています。
城山八幡宮の見どころ
覚王山エリアのおしゃれな雰囲気とは打って変わって、境内はとても静かで落ち着いた空気が漂っています。丘の上にあるせいか、街の喧騒がふっと遠くなる感じ。
縁結びの神社として若い人にも人気がありますが、歴史散歩の目的で来ても十分に楽しめます。むしろ平日は人が少なくて、ゆっくり歩けておすすめです。
連理木

境内の門の手前を左へ進んでいくと、城山八幡宮のシンボル的存在・連理木(れんりぼく)があります。
幹回り4m、高さ15mほどのアベマキの木で、1本の幹が2本に分かれた後、また合わさって枝を伸ばしているという珍しい形。
縁結び・夫婦円満の御神木とされていて、境内一番のパワースポットと言われています。歴史好きとしては「末森城があった丘に、こんな木が育っているのか」と思うとなんか感慨深い。
ちなみに6月中旬〜10月中旬はキクイムシの被害を防ぐため養生シートにくるまれているので、きれいな姿を見たいなら時期に注意してくださいね。
桃取石の恋占い

拝殿横には桃取石(青石)と揖斐石(赤石)が離れて置かれています。桃取石は、二見浦の夫婦岩でも有名な石で、鳥羽の答志島産の石です。
奥にある青石に触れて願いを込めたあと、目を閉じたまま振り返って、赤石までゆっくり歩きます。
※早く歩くと、石に足をぶつけちゃう危険があるので、注意してくださいね。大体このあたりかな?と思ったら立ち止まって、手で石を探すのがおすすめです。
1回でたどり着けば願いは成就し、2~3回でたどり着けば、努力すれば願いが叶います。誰かのアドバイスを受けてたどり着けば、願いも第3者の援助で叶うんだとか。
ぜひやってみてくださいね。
四季の景色
城山八幡宮、季節ごとに顔が変わって何度来ても楽しいんです。
4月中旬には神楽殿横の藤の花、下旬には「ナンジャモンジャ」の愛称で知られるヒトツバタゴの花が真っ白に咲いて、まるで雪が積もったみたい。
5月には御神木・橘の白い花が咲いて、さわやかな香りが漂います。梅雨前のこの時期が、個人的にはいちばん好きです。
所要時間はどれくらい?
- 神社だけさらっと見るなら、30分ほど
- 石碑や空堀など城跡をじっくり見るなら、1時間くらい
- 覚王山エリアの散策やカフェ休憩を込みにするなら、2〜3時間
- 日泰寺や揚輝荘とセットで歩くなら、半日は欲しいです
城跡が目的なら、ぜひ境内をぐるっと一周してみてください。空堀の深さは歩いてみると本当によくわかります。
住所:名古屋市千種区城山町2-88
御朱印授与時間:9:15~16:30
城山八幡宮の城山八幡宮へのアクセス・駐車場
電車の場合
地下鉄東山線「覚王山駅」2番出口から東へ徒歩約8分。または「本山駅」1番出口から西へ徒歩約8分。
車の場合
県道60号線「末盛通2」交差点を北へ、70mほど先の信号のない交差点を東へ。電柱に「城山八幡宮ここ入る」の看板が目印です。この道からしか駐車場に入れないので注意してください。
参拝者用無料駐車場あり。
末森城跡周辺のおすすめ散歩コース
末森城跡に行ったら寄りたい、周辺のおすすめお散歩コースをご紹介します。
① 城山八幡宮→覚王山日泰寺

城山八幡宮から歩いてすぐの場所に、覚王山日泰寺があります。タイから贈られた釈迦の遺骨(仏舎利)を祀る、日本で唯一「どの宗派にも属さない」という珍しいお寺。
毎月21日の縁日には参道に露店が並んで、地元の人で賑わいます。
戦国の城跡から、国際的な仏教寺院へ——歴史のスケールが一気に広がる組み合わせです。
② 城山八幡宮→揚輝荘
日泰寺の近くには揚輝荘(ようきそう)もあります。松坂屋の初代社長・伊藤次郎左衞門祐民が建てた別荘で、昭和初期の建築が今も残っています。
戦国時代の城跡、明治〜大正の仏教寺院、昭和初期の別荘——と時代を超えて歩けるのが、このエリアの面白さです。「名古屋の大人散歩」として、かなりおすすめのコースです。
揚輝荘の所要時間は?見どころとレビューでわかる静かな楽しみ方
③ 覚王山カフェ巡り
歴史散歩の後は、覚王山の路地でカフェ休憩を。個性的なカフェや焙煎コーヒーのお店が多く、歩き疲れた足を休めるのにぴったりです。
若い人向けのおしゃれなお店もありますが、落ち着いた喫茶店や和菓子屋もあって、大人の散歩にもぴったり。ゆったりした大人の時間を過ごせます。
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まとめ
城山八幡宮は、縁結びの神社としても素敵な場所ですが、歴史好きの目で見るとさらに面白い。
信秀が築き、信長と信行が戦い、やがて廃城になった末森城——その跡地が今も丘の上にひっそりと残っていて、空堀や地形がその記憶を今に伝えています。
鳥居をくぐるとき、「ここは昔お城だったんだ」と思いながら歩いてみてください。いつもと違う景色が見えてくるはずです。
覚王山の散歩がてら、ぜひ足を運んでみてくださいね。
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