岐阜市の斎藤道三ゆかりの常在寺と道三塚のアクセスは?濃姫遺髪塚もご紹介

岐阜市常在寺【麒麟がくる】

岐阜市は斎藤道三が作り、織田信長が整備したと言われていますよね。岐阜市には道三時代に作られた道路や地名が今もそのまま使われています。

美濃のマムシと呼ばれた道三ですが、今は織田信長とともに岐阜市のヒーロー、道三ゆかりの地は大切に守られています。

この記事では岐阜市に残る斎藤道三ゆかりの地、斎藤家菩提寺の「常在寺」、道三のお墓「道三塚」、道三の娘・帰蝶(濃姫)の「遺髪塚」をご紹介します。

この記事を読めば、斎藤家3代の歴史を感じることができますよ。お出かけの参考にしてくださいね。

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斎藤道三ゆかりの常在寺

常在寺の斎藤道三の供養碑

岐阜県岐阜市常在寺の斎藤道三供養碑

 岐阜城へ続く七曲登山道(大手道)は、岐阜城下町の七曲通につながっていて、百曲通と同じく斎藤道三の時代に作られ、この道を通って出陣したと言われています。

七曲通沿いにある常在寺(じょうざいじ)は、日蓮宗、京都妙覚寺に所属するお寺です。斎藤道三・義龍・龍興3代の菩提寺とされています。

ひっそりとした境内には、中央に本堂、左側に社務所があり、右側のお堂の前に斎藤道三公の供養碑が立っています。

これが供養碑ですよ、と書かれているわけではないので、これがそうなの?って感じです。斎藤家五輪塔もあるんですが…見逃してしまいました。どこにあったんでしょう???

岐阜県岐阜市常在寺の境内

境内の中には桜、山茱萸(さんしゅゆ・写真↑右側の黄色い花)、クリスマスローズが咲いていました。小さいながらもとっても素敵なお庭で、来る人を和ませてくれていました。

常在寺の道三・義龍の肖像画

靴を脱いで本堂内に上がります。扉を開けてすぐ左側のテーブルの上に、拝観料を置く箱がありました。

本堂にはご本尊の文殊菩薩さま斎藤家のご位牌が祀られています。右側の壁には、斎藤道三と義龍の肖像画が飾られています。(状態が悪いので複製画です。)

道三の肖像画は娘の帰蝶(濃姫)が、義龍の肖像画は嫡男の龍興が寄進したとされています。この2人、並べて見ると、確かに似たところが全くない親子ですよね~。

道三の孫にあたる龍興は、義龍の急死により14歳で家督を継ぎますが、信長の侵攻によって稲葉山城を奪われ、美濃国奪取できないまま26歳で戦死、斎藤道三の直系はここで断絶、となっています。

そのほかにも斎藤家に関連する資料が展示されています。(写真撮影は禁止ですので、注意してくださいね。)

※本堂に鍵がかかっているときは、社務所の前のインターホンを押してみてください。ご住職さんがいらっしゃるときは、鍵を開けていただけますよ。展示品の説明をCDで聴くこともできます。

毎年4月の第1土曜日に「斎藤道三公追悼法要」が行われ、土日に開催される「道三まつり」には無料開放されます。※2020年の道三まつりは中止になりました。

鷲林山(しゅうりんざん)常在寺
住所:岐阜県岐阜市梶川町9
電話番号:058-263-6632
拝観時間:4月~10月 9:00~17:00 11月~3月 10:00~16:00
拝観料:大人150円 小人100円

斎藤道三の家紋

斎藤道三の家紋

斎藤道三が使っていた家紋は「二頭波紋」、道三自身がデザインしたと言われています。

水は何に対しても変化して対応することができる、寄せては返す波は、合戦の押しては引いての駆け引きに似て、打ち砕いていく力強さを表現したのでしょうか。

波のしずくが左側に2つ、右側に3つなのは、世の中すべては割り切れる事と割り切れないことがある、という戒めが含まれていると言われています。

出家した「道三」の名前は、油商人として、武士として、そして僧として、3つの道を究めた、という意味があったとか。3つの道を究めるって相当の努力が必要だったのでは?と思います。

美濃のマムシと恐れられた道三は、きっと自分にも厳しい人だったんですね。

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常在寺のアクセスは?

常在寺の駐車場はないので、岐阜公園駐車場に停めて歩くのがおすすめです。歴史博物館から歩いて5分くらいです。

岐阜公園または岐阜駅南口からレンタサイクルで行かれる方もみえました。1日300円なので、お天気が良ければサイクリングもいいですね。

斎藤道三のお墓・道三塚

岐阜県岐阜市にある道三塚の前

1556年、斎藤道三と嫡男・斎藤義龍が争った合戦(長良川の戦い)で、道三は敗死してしまいます。

遺体は崇福寺(そうふくじ)の西南に葬られましたが、長良川の氾濫でたびたび塚が流されたため、常在寺の住職によって、1837年に現在の場所へ移されました。

岐阜県岐阜市の道三塚

住宅街の一角にあり、ちょっと迷いました。かつては畑の真ん中にあったそうですが、現在は道路の角にあるものの、家に隠れて見えにくくなっています。

岐阜メモリアルセンターの北側です。道三塚の案内板の前に1台駐車できるスペースが作られていました。

供養碑にはお堂が作られていて、花が飾られていました。岐阜の町を最初に作った人として、今でも岐阜の人たちに大切にされているんですね。

道三塚
住所:岐阜県岐阜市長良福光2494

道三の娘・濃姫の遺髪塚

岐阜県岐阜市にある濃姫遺髪塚

斎藤道三の娘・帰蝶は、織田信長の婚儀以降まったく記録がなく、亡くなった場所も年もわかっていません。

ただ、本能寺の変で信長と一緒に亡くなって、京から逃げ延びた家臣が帰蝶の遺髪をここに埋葬したと伝えられている塚が、西野不動堂横にあります。

第2次世界大戦の空襲で墓石は焼失、昭和50年に碑文が見つかったため、焼け残ったムクノキの下に再建されたと書かれていました。

今となっては手掛かりもなく真実はわからないけれど…やっぱり、手を合わせたくなる遺髪塚ですね。

岐阜県岐阜市の濃姫遺髪塚横の西野不動堂

※西野不動堂は、織田信長が岐阜の城下町を守る四天王(伊奈波善光寺・小熊の地蔵・美江寺の観音)の1つ。お堂の中にとっても美人な「濃姫」の肖像画がありますよ。

専用の駐車場はありません。道幅の広いところに路駐して、短時間で戻るようにしてくださいね。

西野不動堂
住所:岐阜県岐阜市不動町

さいごに

岐阜市に残る斎藤道三ゆかりの地、斎藤家菩提寺の「常在寺」、道三のお墓「道三塚」、道三の娘・帰蝶の「濃姫遺髪塚」についてお伝えしました。

戦国時代の下剋上で武士になりあがった斎藤道三、その父に認められず、父を討死させた斎藤義龍、義龍の急死で家督を継いだものの、美濃を守り切れず、返り咲きを願いながら戦死した斎藤龍興。

そんな斎藤家3代の物語は、戦国時代とはいえ、ちょっと悲しいですね。けれども、彼らの物語が岐阜市の中で語り継がれて、大切に残されていることを喜んでくれているような気もします。

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