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岐阜城下町の歴史散策観光コース!道三と信長の物語が残るいにしえの町

岐阜市妙照寺の芭蕉の句碑

岐阜城の西側に広がる城下町は、斎藤道三が築き、織田信長の時代に整備されました。今でもその頃の地名や名残があり、その足跡を見ることができます。

戦国時代から江戸時代へと進んでいった歴史の流れを、散策しながらたどっていくと、いろんな発見があって楽しいですよ。

この記事では、岐阜城下町をゆっくり歩いて2時間弱の散策コースをご紹介します。 疲れたら川原町のおしゃれなカフェで一休みするのもおすすめです。

岐阜城へお越しの際には、ぜひ城下町散策もしてみてくださいね。

【このコースのおすすめは?】ご夫婦・カップル・ファミリー・お1人様

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正法寺の岐阜大仏

岐阜大仏

歴史博物館前の交差点の南側にある、唐風の建物のお寺が「正法寺(しょうぼうじ)」、黄檗宗のお寺です。ここには日本3大仏の1つと言われる岐阜大仏さまがいらっしゃいます。

とっても穏やかなお顔の大仏さま。少し下を向いておられるので、下から見上げると目が合うって感じです。

大イチョウの柱を芯にして、骨格を木材で組み、周りを竹材と粘土で作られています。その上に経文を書いた紙を貼り、漆を塗って、金箔で覆った大仏さまの胎内には、薬師如来さまが祀られています。

銅などで鋳造された大仏さまの頭部は、下を向くと重みで首がもげてしまうので、下から見上げた時に目が合うって感じはしないですよね。かご大仏だからこそ、下を向くことができるんです。

でも、竹や粘土でできてるとは思えないですよね。金箔の色がくすんだからこそ、どっしりとした風格があります。優しいお顔にとっても癒される、岐阜大仏さまです。

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岐阜市常在寺の道三供養塔

岐阜常在寺

斎藤道三によって作られた道、七曲通にある常在寺(じょうざいじ 別名:七曲之寺)は、斎藤道三・義龍・龍興3代の菩提寺です。美濃のマムシと悪名高い道三ですが、常在寺には多くの寄進もされていました。

本堂には、帰蝶(濃姫)が寄進したとされる斎藤道三の肖像画と、龍興が寄進したと言われる斎藤義龍の肖像画(どちらも複製)が公開されています。

道三と義龍親子の戦いは、道三に味方する兵が少なかったとはいえ、もしかしたら、道三は生き延びる手立てがあったのではないのかなとも思うのです。

遺言書を残して、義龍に討たれた道三。そうなることを受け入れた、潔さを感じてしまうのですが、本当はどうなのでしょう?  本堂前には、斎藤道三の供養碑がひっそりと立っています。

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岐阜市妙照寺の芭蕉の句碑

岐阜妙照寺

常在寺に道を挟んだ反対側に、常在寺と同じく日蓮宗のお寺、妙照寺(みょうしょうじ)があります。もともとここは、軍師として名高い竹中半兵衛のお屋敷でした。

1600年に信長の孫・信秀が、空き家だった屋敷跡に妙照寺を移転させました。境内の三光稲荷社は、竹中家の守護神として信仰されていたものがそのまま残されています。

江戸時代にはこの寺に松尾芭蕉が約1か月滞在したことでも知られ、庫裏奥には「芭蕉の間」が滞在した当時のままの状態で残されています。

境内には芭蕉が読んだ句碑がありました。「やどりせむ あかざの杖に なる日まで」

アカザは1年生の雑草で、成長が早く1年で1mほどに成長し、秋には枯れて固くなり、杖として使われていました。庭のアカザが成長して枯れるまでの長い時間をここで過ごしたいという、芭蕉の思いがこもった句ですね。

岐阜妙照寺の山門

本堂と庫裏は江戸時代前期の建物で、市の指定文化財になっています。お手入れされている庭は、季節ごとの花を咲かせて、訪れる人をいつでも和ませてくれます。

三光山妙照山
住所:岐阜市梶川町14
電話番号:058-264-7793
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岐阜城下町の堀と御鮨所跡

岐阜市梶川堀のイメージ図

七曲通には城下町を北から南に流れる梶川堀があります。信長の時代に作られた堀で、武家屋敷エリア(岐阜城がある山側)と町人たちの住むエリア(西側)を分けていました。

常在寺と梶川堀の間にある道を北へ向かうと、御鮨所跡の看板があります。

鵜飼でとれた鮎でつくった鮎寿司を、岐阜に来た時に食べた家康公はとっても気に入ったそうです。そこで毎年、家康公に献上するために鮎寿司が江戸まで運ばれて、その街道が「御鮨街道」と呼ばれていたんだとか。

お酢ではなく、塩魚で発酵させた熟鮨(なれすし)は、5昼夜かけて江戸に到着したころに、ちょうど食べごろになっていたんですね。

岐阜市材木町に残る、馬の環金具

そこから北上していくと、東材木町の交差点があり、そのあたりから古い家がちらほら…古い家の下には、馬をつないだ環金具が残っていました。

長良川の支流を超えるとその先は、古い町並みが残る川原町です。

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岐阜市川原町の古い町並み

岐阜市川原町の町並み

川原町は、「湊町」「玉井町」「元浜町」の3つを総称した名前です。かつては長良川の水運で栄え、たくさんの商店でにぎわっていた川港でした。

現在も格子戸がある古い日本家屋が軒を連ねる、古い町並みが残るエリア。伝統工芸品のお店や、町家や蔵を改装した、おしゃれなカフェやレストランが人気を集めています。

川原町の南端には「鵜飼観覧船乗り場」があり、約1300年前から伝わる古典漁法の鵜飼を楽しむことができます。

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岐阜公園

岐阜市の日中友好公園の唐門

中華風の門が目を引く日中友好庭園は、岐阜市と中国の杭州市の友好都市10周年を記念して、岐阜公園の一角に作られました。岐阜市と杭州市は、日中国交正常化の10年も前に友好盟約を結んでいたんだとか。

政府からも「国交がないのに、なんでそんな勝手なことしてるんだ!?」と言われながらも、友好を保ってたってすごいですよね。

杭州の西湖を模して作られた池は、まるで中国にいるような錯覚に陥ります。

春にはソメイヨシノやシダレサクラのピンクの桜が公園一帯を囲み、圧倒的、幻想的な美しさ。桜の名所にもなっています。

岐阜公園の御手洗池

日中友好公園の南側には滝が流れる池があります。かつては池の裏側に伊奈波神社があり、この池で手を洗ってから参拝していたことから、「御手洗池(みたらしいけ)」と呼ばれています。

斎藤道三が稲葉山城を築城するときに、足元に神社があるのは失礼だからと、本殿を遷したんですね。 伊奈波神社は稲葉山城の守り神として、道三は合戦の前に参拝していたそうです。

その後、1600年の関ケ原の合戦では、岐阜城主だった織田秀信は西軍・石田三成側につき、岐阜城に籠城するも、落城。奥女中たちがこの池に身を投げて自殺した、と言われています。

悲しい伝説が残る池では、子供が釣りをしていたら、長い髪の毛が引っ掛かったなどホラーな話も…。現在はとても澄んだ水が流れる、きれいな池です。

地元の方に聞いたところ、「水はポンプでくみ上げて流してる、人口の滝だよ」…って。そうだとしても、とっても絵になる御手洗池です。

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長良川温泉

岐阜市内をめいっぱい満喫した後は、ゆっくり長良川温泉に泊まるという手もあります。長良川温泉は、お湯が錆びてる?と思うような、鉄分やラドンを多く含む茶褐色のにごり湯です。

神経痛や関節痛、冷え性、疲労回復や健康増進などにとっても効果的な温泉です。

夕方の堤防沿いを散歩すれば、鵜飼いの準備をしている鵜匠さんの姿が見られます。川と山が近い夜や朝の風景は、昼とは違った雰囲気を味わうことができますよ。

長良川温泉の旅館・ホテル【たびノート】
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さいごに

岐阜城下町の観光おすすめ散策コースをお伝えしました。午前中にスタートして、川原町でランチでもいいですよね。

散策中にふと金華山を見上げると、山頂に小さく岐阜城が見えます。かつては、どこからでも岐阜城が見えるように道路が作られていたのではないでしょうか。

道三と信長が作り上げた岐阜城下町には、見どころがたくさんあります。ぜひ散策してみてくださいね。

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