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小牧長久手の戦いの場所の現在は?長久手に残る武将たちの塚と史跡めぐり

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1584年に起きた小牧長久手の戦い。家康が戦場で秀吉軍を壊滅させた「長久手の戦い」の舞台が、現在の愛知県長久手市です。

住宅地の中に、武将たちの塚や古戦場の跡がひっそりと残っています。「知らなければ通り過ぎてしまう」場所がほとんどですが、歴史を知ってから歩くと、見え方がまったく変わります。

今回は古戦場公園を起点に、長久手市内の史跡を実際に歩いてきました。

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長久手の戦いの古戦場めぐりの基本情報

起点

長久手市古戦場公園(イオン長久手の西側)

所要時間の目安

  • 古戦場公園周辺だけ:1時間ほど
  • 色金山歴史公園まで含める:2〜3時間(車移動が便利)
  • 全スポット:半日

移動手段

古戦場公園周辺は徒歩またはレンタサイクルで回れます(ぐるっと約3km)。色金山歴史公園は公園から約1.8km離れているので、車での移動がおすすめです。

古戦場公園には「カリテコバイクポート」があり、現地予約も可能です(アプリから手続き、30分165円、以降30分110円)。

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長久手の戦いの古戦場の場所の現在は?

長久手の戦いを示す3つの塚と、激戦地の現在をまわってみましょう。

勝入塚(池田恒興の塚)

愛知県長久手市にある勝入塚

古戦場公園の北側にある塚です。「勝入(しょうにゅう)」は、池田恒興が晩年に出家した時の号です。

池田恒興は織田信長の乳兄弟として幼い頃から仕えた重臣で、小牧長久手の戦いでは秀吉方として参戦しました。

秀吉から「勝ったら尾張1国を任せる」と約束されていましたが、長久手の戦いで徳川軍に討ち取られてしまいます。

中央の石碑は明治24年に池田恒興の子孫が建立したものです。

古戦場記念館もあるので、まず立ち寄って長久手の戦いの概要を頭に入れてから歩き始めるのがおすすめです。

長久手古戦場記念館
住所:長久手市武蔵塚204
資料室受付時間:9:00~17:00
休館日:火曜日(休日は開館、翌平日休み)・年末年始
料金:高校生以上400円
駐車場:あり 普通車28台

庄九郎塚(池田元助の塚)

愛知県長久手市にある庄九郎塚

古戦場公園の南側にある塚です。池田恒興の嫡男で岐阜城主だった池田元助(通称:庄九郎)が父とともにこの地で戦死しました。

元助の弟・池田輝政が家督を継ぎ、後に姫路藩初代藩主となって姫路城を現在の姿に改修しました。あの美しい姫路城の背景に、長久手での兄の戦死があったわけです。

輝政はその後、秀吉に仕え、家康の娘・督姫と結婚し、関ヶ原では家康方として参戦——信長・秀吉・家康の三英傑すべてに縁のある池田家らしい歩みです。

庄九郎塚
住所:長久手市武蔵塚406

武蔵塚(森長可の塚)

愛知県長久手市にある武蔵塚

庄九郎塚から西へ進むと武蔵塚があります。「鬼武蔵」と呼ばれた猛将・森長可(もりながよし)の戦死地です。

秀吉方として参戦した長可は、白装束で決死の覚悟で出陣し岩崎城を落とします。しかし後続の味方が敗走して取り残され、徳川軍と激突。鉄砲で狙撃されて命を落としました。

「鬼武蔵」という異名が示す通り、勇猛果敢な武将でしたが、34歳という若さでした。

武蔵塚
住所:長久手市武蔵塚905

血の池公園と鎧掛けの松

愛知県長久手市にある血の池公園

武蔵塚から北西へ向かうと血の池公園があります。

「血の池」という名前は物騒ですが、現在は子どもたちがサッカーを楽しむグラウンドと交通児童遊園がある明るい公園です。

長久手の戦いの後、家康方の武将たちが血槍・血刀をこのあたりの池で洗い、池の水が血で赤く染まったことから「血の池」と呼ばれるようになったそうです。

愛知県長久手市にある鎧掛けの松

公園近くには鎧掛けの松があります。

武将たちが刀や槍を洗う時に鎧を脱いで掛けたと伝わる松で、現在の木は3代目。もみじの木とともに枝を広げています。

「血の池」「鎧掛けの松」——名前を知ってから歩くと、住宅街の風景がまったく違って見えます。

血の池公園
住所:長久手市城屋敷

長久手城趾

愛知県長久手市にある長篠城跡と観音堂

血の池公園の近くに長久手城趾があります。徳川方の岩崎城主・丹羽氏の家臣、加藤忠景の居城だった場所で、忠景は岩崎城落城の際に戦死しています。

現在は住宅街の中に観音堂とお地蔵さまがひっそりと立っているだけです。観音堂には長篠城落城前に埋めて隠されていた観音さまが祀られていて、婦人病にご利益があるとされています。

「知らなければ絶対に通り過ぎる」という場所ですが、こういう「ひっそりした史跡」が古戦場めぐりの醍醐味でもあります。

長久手城跡
住所:長久手市城屋敷2408

御旗山の富士浅間神社

愛知県長久手市にある富士浅間神社の1の鳥居

家康が金扇の馬印を立てたと伝わる小高い山で、現在は「富士浅間神社」が祀られています。

一の鳥居から石段が続き、二の鳥居を過ぎた先に本堂があります。

1584年の長久手の戦いから33年後の1617年に創建、地域の守護神として「子どもの虫封じ」に特にご利益があるとされています。

本殿前の「御旗山」と書かれた石柱の前に立つと、「ここで家康が馬印を立てて戦況を見守っていたのか」という想像が広がります。

富士浅間神社(御旗山)
住所:長久手市富士浦

色金山歴史公園

長久手市の色金山にある床机石

古戦場公園から車で移動して、ぜひ立ち寄ってほしいのが色金山歴史公園です。

家康が軍議を開いた山として知られ、山頂にあった石を床机代わりに腰かけて、長久手の戦いの作戦を練ったと伝わっています。

展望テラスからは長久手市内が一望できます。「家康もここから同じように四方を見渡して、策を練ったんだな」という感慨があります。

秀吉方の奇襲作戦を知った家康が、ここから部隊を動かして長久手での大勝利につなげた——その瞬間が、この丘の上にあったわけです。

公園内には長久手の合戦の慰霊碑のほか、日清・日露戦争や大東亜戦争の慰霊碑、徳川方の武将・伴盛兼の墓碑なども並んでいます。桜やもみじが植えられていて、季節によって表情が変わる公園です。

家康が馬に水を飲ませたという「馬泉水」も作られています。

色金山
住所:長久手市岩作色金37-1
茶室:9:30~16:00(抹茶サービスは15:30まで)
茶室定休日:月曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始
駐車場:あり

小牧長久手の戦いの首塚と安昌寺

長久手市の合戦の首塚

色金山の麓に首塚があります。安昌寺の雲山和尚が長久手の合戦の戦死者を集めて手厚く祀った塚で、江戸時代には尾張藩士も参拝に訪れていたそうです。

注意: 細い一方通行の道沿いにあり、駐車スペースがありません。車で来る場合は近くに停めて歩いてくださいね。

長久手市の安昌寺

県道57号線を挟んで北側に安昌寺があります。

山門の正面に本堂、左手に観音堂があり、観音堂には平安時代の木造十一面観音坐像が安置されています。

なんと100年に一度しか開帳されない秘仏で、次の開帳は2080年とのこと——次に見られるのは今の子どもたちが高齢者になってからの話ですね。

久岳山安昌寺
住所:長久手市岩作色金92
首塚
住所:長久手市岩作元門42

家康が戦勝祈願した教圓寺

教圓寺色金山で軍議を開いた家康が、御旗山へ進軍する途中に立ち寄ったお寺です。

本尊の阿弥陀如来に戦勝祈願したとされ、家康が寄進したと伝わる葵の紋付陣羽織が残されています。

境内には筆塚もあり、江戸時代には寺子屋も置かれていたそうです。現在はお隣がさつき幼稚園という、なんともほのぼのした雰囲気になっています。

東砂山教圓寺
住所:長久手市岩作東島103

おすすめの回り方

長久手・富士浅間神社
富士浅間神社

半日コース(車利用)

古戦場公園(古戦場記念館で概要を把握) → 勝入塚 → 庄九郎塚 → 武蔵塚 → 血の池公園・鎧掛けの松 → 長久手城趾 → 御旗山・富士浅間神社

車で移動 → 色金山歴史公園(茶室で抹茶休憩) → 首塚・安昌寺 → 教圓寺

レンタサイクルコース(古戦場公園周辺のみ)

古戦場公園でレンタサイクル → 勝入塚 → 庄九郎塚 → 武蔵塚 → 血の池公園・鎧掛けの松 → 長久手城趾 → 御旗山・富士浅間神社(約3km・1〜1.5時間)

色金山歴史公園は離れているので、車で行くのがおすすめです。

歩きやすい服装と靴がおすすめ。 御旗山・色金山は階段があります。また、首塚周辺は道が狭いので注意してくださいね。

まとめ

長久手の古戦場は、住宅地の中にひっそりと残っています。「血の池公園」という名前の公園で子どもたちがサッカーをしている——

そのすぐそばで400年以上前に壮絶な戦いがあったという事実が、なんとも不思議な感覚を与えてくれます。

武将たちの塚・家康が軍議を開いた丘・戦勝祈願したお寺——歴史を知ってから歩くと、長久手市内の見え方がまったく変わります。ぜひ明るいうちに、ゆっくり歩いてみてくださいね。

>>長久手市の観光スポットの口コミや宿泊施設情報はこちら【楽天たびノート】

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