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名古屋城の楽しみ方7選!天守閣は入れないけど魅力満載の観光ガイド

名古屋城

「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と伊勢音頭でも詠われた、名古屋の象徴「名古屋城」は、名古屋が誇る名古屋の宝です。

現在天守が閉鎖中なんですが、名古屋城にはまだまだ見どころがいっぱい、名古屋観光には欠かせない場所の1つになっています。

この記事では、名古屋城の楽しみ方として、豪華絢爛の本丸御殿や石垣などの見どころや歴史についてご紹介します。

名古屋城に行ったら、やり残すことがないように、全部満喫していってくださいね!

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名古屋城の楽しみ方7選!

名古屋城の豪華絢爛な本丸御殿

名古屋城本丸御殿の上洛殿

名古屋城の本丸御殿は、江戸時代の尾張藩士の住居であり、将軍さま上洛の際の宿泊場所。空襲で焼失た本丸御殿が再現され、2018年から公開されています。

どこを見てもキンキラキンの豪華絢爛、贅沢な造りにびっくりしてしまいます。金色のふすまには今にも動き出しそうな「竹林豹虎図」が描かれ、その目で睨まれたら委縮しちゃいそうです。

一番奥の「上洛殿」は一番格式が高い部屋で、3代将軍徳川家光の上洛の際に宿泊場所として増築された部分です。

見事な彫刻の欄間があり、二重折り上げ天井にも絵が描かれ、ふすまの取っ手や釘隠しもすべて細かい飾り金具で、職人の技と贅沢さが集結した部屋になっています。

各部屋の天井を見るだけでも格式の違いがわかって面白いですよ。忘れずに上も見上げてくださいね。

名古屋城の石垣と清正石

名古屋城

加藤清正が熊本から約2万人を引き連れてやってきて、わずか3か月足らずで積み上げたといわれる天守台の石垣は、東側の高さが約12.5m、西側と北側の高さは約20m。

この石垣は「清正流・三日月石垣」と呼ばれ、三日月のようなきれいな曲線を持っています。敵の侵入を防ぐために、上に行けば行くほど勾配が急になっているんですね。

石垣の中にある「清正石」は、まるでここに大きな隕石が落ちたのかというくらいの大きさです。高さ約2.5m、横幅約6m、重さ推定10トン!

名古屋城内にある清正石

こんな大きな石を加藤清正が運んだという言い伝えがあって「清正石」と呼ばれていますが…石垣の施工大名は、黒田長政なんですよね。

加藤清正は石垣普請担当で、大きな石を運ぶときは自らその石の上にのって、「もっと力入れて~!せいや~!よいしょ〜!」と音頭をとっていたそうな。

清正の応援によって、この石は運ばれてきたのかもしれませんね。(梅林の西側に「清正公石曳きの像」があります。)

※名古屋能楽堂の南にも「加藤清正像」があります。名古屋城には家康の像はないのに、清正の像が名古屋城の中と外に2つあるって面白いですね。

名古屋城の隅櫓(すみやぐら)

名古屋城の隅櫓
西南隅櫓

名古屋城の本丸にある3つの隅櫓(すみやぐら 西北・西南・東南の3か所にあります)は重要文化財、戦火を逃れて現存するやぐらは、江戸時代からの歴史を感じさせられます。

西南と東南の隅櫓は1重部分に屋根が付いていないので、外から見ると2重櫓、中は3重櫓という珍しい造りになっています。

隅櫓は見張り台であり、敵が攻めてきたときに迎え撃つための防御施設です。鉄砲用の穴があけられていて、石垣を上がってくる敵を払い落すための石落としも付いています。

名古屋城にはもともと11の隅櫓があったんですが、現存するのは3つ。西南隅櫓は大正時代の暴風雨で倒壊し、2年後に宮内庁が再建したために、瓦が徳川家の葵ご紋ではなく、菊花紋になっています。

(左)東南隅櫓 (右)西南隅櫓

東南隅櫓と西南隅櫓では、格式の違い?なのか、東南隅櫓の天井はむき出し、すべての窓に格子が入っています。

天守閣を眺めることができる西南隅櫓は、天井がはられ、窓に障子が付いていて、最上階には格子が入っていません。窓からは名古屋駅のビル群を眺めることができます。

隅櫓は通常非公開、お正月などイベントの期間中に公開されるときがあります。東南隅櫓は約400年前に建てられた当時のままの状態なので、チャンスがあればぜひ見てくださいね。

名古屋城に住んでいた鹿と外来生物

名古屋城のお堀にはシカが2匹住んでいました。江戸時代に余興として飼われていた鹿が、いたずらが過ぎると堀に移動させられて、そのままずっと堀で飼育されていました。

多いときは56匹いたそうですが、野犬に襲われたり、病気になったりして、2012年から2匹になってしまいました。2017年に1匹が大けがをして、現在はエサが多く静かに住める場所に移動しています。

名古屋城のお堀で目撃情報があるのは特定外来生物「アリゲータガー」、「池の水ぜんぶ抜く」の番組でもこれがいたらかなりヤバイ、ワニのように口をした肉食魚です。

名古屋城のお堀の水を全部抜くと、石垣が壊れてしまう危険性があり、名古屋市の条約により名古屋城の外堀での釣りは全面禁止のため、網を使って捕獲するしか手がないようです。

2017年にアリゲーターガーを1匹捕獲!というニュースがありましたが、少なくともあと1匹はいると言われています。(捕獲されたアリゲーターガーは現在、碧南海浜水族館で標本展示されています。)

もともとの生態系を壊してしまうアリゲーターガー、もしかしたらお堀の中でひっそりと身をひそめているかもしれません。早く捕獲されるといいですね。

名古屋城の二の丸茶屋でモーニング♪

名古屋城二の丸茶屋の金シャチモーニング

名古屋城の二之丸庭園内にある「二の丸茶屋」では、9:00~11:30に「金シャチモーニング」をいただくことができます。

抹茶の三つ葉葵のマークと、粒あんにしゃちほこのクッキー、添えられた生クリームには金箔がのせられていて、とってもゴージャスです。もちろん、見た目だけじゃなくて味もゴージャス御墨付き!

ドリンクは抹茶、コーヒー、オレンジジュースから選んで500円(税込)です。数量限定なので、名古屋城に付いたらお早めに二の丸茶屋へ行くようにしてくださいね。

名古屋城の御城印と名城スタンプ

現在名古屋城の天守閣は閉鎖中ですが、御城印(来城記念符、または城郭符と言われています)をいただくことはできます。

正面横売店と天守閣前の売店で購入出来ますので、店員さんに確認してくださいね。1枚300円(税込)。

日本100名城の44番の名古屋城、名城スタンプは「正門総合案内所」と「正門改札」「東門改札」の3か所に置かれています。正門改札と東門改札は16:20までなので、気を付けてくださいね。

正門を入ったすぐ先にある「総合案内所」では、武将隊オリジナルの「武将印判」、のぶながくんのつぶやきが月替わりスタンプが置かれています。

20年4月「結局味噌」
20年8月「どえりゃー暑い まーかん」
21年3月「高いよね ひな人形」
21年8月「蜂が2匹(ハチガツ―) これにて涼しく」
21年9月「お彼岸、春は「ぼたもち」秋は「おはぎ」どちらも同じ物」
21年11月「三の酉のある年は、活気あまり火事になる」

のぶながくんのつぶやきスタンプ、毎月コレクションしたくなっちゃいますよ。

名古屋城西の丸御蔵城宝館

2021年11月にオープンした「西の丸御蔵城宝館」には、名古屋城の貴重な所蔵品が公開されている展示室と、名古屋城の歴史が学べる歴史情報ルームに、ミュージアムショップが併設されています。

歴史情報ルームでは、戦前の名古屋城を白黒フィルムで見ることができます。空襲で焼け落ちていく姿も残されていて、石垣だけになった姿を見たら、胸が締めつけられました。

写真↑は、明治時代に旧江戸城(現在の皇居)から、名古屋城に移設された銅鯱です。昭和20年の空襲で損傷したものの、姿をとどめたシャチたちは、名古屋城の歴史を知る証人として展示されています。

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名古屋城の歴史を簡単におさらい!

名古屋城

【1521~1528年】もともと、名古屋城の二の丸付近には「那古野城」がありました。鎌倉時代後期に今川氏の一族が築いたとされています。

【1532年】その後、信長の父信光が、今川義元の弟が住んでいた那古野城を奪い取り、まだ赤ん坊だった信長に譲りました。信長が子供のころを過ごしたお城だったんですね。

【1555年】信長は拠点を清城城に移します。信長は天下統一に向けて、小牧山城、岐阜城、安土桃山城と拠点を変え、那古野城は1582年に廃城になりました。

【1603年】関ケ原の戦いで勝利した徳川家康は、江戸幕府を開きましたが、大阪城には1大名になったとはいえ、豊臣家が家康を脅かす存在として残っていました。

【1610年】家康は豊臣家とその家臣をけん制するために、加藤清正、福島正則ら豊臣家に恩顧のある家臣たちに、将軍直々の命令で名古屋城の築城を命じました。(豊臣方に寝返りをさせないよう、経済力をそぐ目的もありました。)

【1612年】完成した名古屋城は、高さ55.6m(18階建てのビルの高さに相当)、5層5階の天守は当時最大級

【1614年】大坂の豊臣軍と徳川軍の合戦「大坂冬の陣」が勃発、徳川家康は名古屋城から出陣しました。(翌1615年の大坂夏の陣も名古屋城から出陣)

【1615年】豪華絢爛な本丸御殿が完成。巨大な隅櫓、広大な庭園、周りを囲む深い掘、そして清洲の城下町(家臣、町人、寺社)すべてが丸ごと名古屋城下に引っ越しました(清洲越し)。

江戸時代の初めから明治、大正、昭和と300年以上の時代の流れを見つめてきた名古屋城は、明治24年の濃尾大震災にもびくともせず、築城当時の姿を維持していました。

【1930年】(昭和5年)天守が「国宝第1号」に。(もし今も現存していたら、名古屋城は日本でも有数の魅力的な観光地になっていたはず…。)

【1945年】名古屋城は戦争の大空襲にあい炎上、石垣のみを残して焼失してしまいました。金のしゃちほこを避難させるためにかけてあった足場に、焼夷弾が引っ掛かって炎上してしまったんだとか。

【1959年】(昭和34年)鉄筋コンクリートで名古屋城が再建(建設費の3分の1が寄付でまかなわれたんだとか)、2代目の金シャチも以前と同じく天守閣の上に戻されました。

燃えてしまった名古屋城が再建されたとき、それが木造だとかコンクリート製とかにこだわりはなく、名古屋の人たちにとっては、ただ嬉しかったんじゃないかなって思います。

そこにあるだけで、安心な存在。名古屋城は解体され木造復元される予定ですが、姿が見えなくなるのは、再建されるってわかっていても、なんだか寂しい気がしますね。

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さいごに

名古屋城の楽しみ方として、豪華絢爛の本丸御殿や石垣などの見どころ7つと歴史についてお伝えしました。

現在、天守閣の木造復元工事に向かって進んでいる名古屋城。本丸御殿の完璧な職人技の結晶を見ると、名古屋城の復元にも期待がかかります。

新しい名古屋城の完成はいつになるのか…まったくわかりませんが、気長に待つことにしましょう。

天守以外にも見どころたくさんの名古屋城に、ぜひ行ってみてくださいね。

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