名古屋城の歴史を簡単におさらい!天守閣は入場禁止でも見どころ満載です

名古屋城 愛知県のお城

「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と伊勢音頭でも詠われた、名古屋の象徴「名古屋城」は、名古屋が誇る名古屋の宝です。

現在天守が閉鎖中なんですが、名古屋城にはまだまだ見どころがいっぱい、名古屋観光には欠かせない場所の1つになっています。

この記事では、名古屋城の歴史と、豪華絢爛の本丸御殿や石垣などの見どころについてご紹介します。

名古屋城に来やぁたら、やり残すことがにやぁように(ないように)、全部満喫しってってちょうなぁ(満喫していってくださいね)。

名古屋城の歴史を簡単におさらい!

愛知県名古屋城

【1521~1528年】もともと、名古屋城の二の丸付近には「那古野城」がありました。鎌倉時代後期に今川氏の一族が築いたとされています。

【1532年】その後、信長の父信光が、今川義元の弟が住んでいた那古野城を奪い取り、まだ赤ん坊だった信長に譲りました。信長が子供のころを過ごしたお城だったんですね。

【1555年】信長は拠点を清城城に移します。信長は天下統一に向けて、小牧山城、岐阜城、安土桃山城と拠点を変え、那古野城は1582年に廃城になりました。

【1603年】関ケ原の戦いで勝利した徳川家康は、江戸幕府を開きましたが、大阪城には1大名になったとはいえ、豊臣家が家康を脅かす存在として残っていました。

【1610年】家康は豊臣家とその家臣をけん制するために、加藤清正、福島正則ら豊臣家に恩顧のある家臣たちに、将軍直々の命令で名古屋城の築城を命じました。(彼らの経済力をそぐ目的もありました。)

【1612年】完成した名古屋城は、高さ55.6m(18階建てのビルの高さに相当)、5層5階の天守は当時最大級

【1615年】豪華絢爛な本丸御殿が完成。巨大な隅櫓、広大な庭園、周りを囲む深い掘、そして清洲の城下町(家臣、町人、寺社)すべてが丸ごと名古屋城下に引っ越しました(清洲越し)。

江戸時代から明治、大正、昭和と300年の時代の流れを見つめてきた名古屋城は、「国宝第1号」に選ばれ、もし今も現存していたら、名古屋は魅力的な観光地の1つになっていたはずです。

【1945年】名古屋城は戦争の大空襲にあい炎上、石垣のみを残して焼失してしまいました。金のしゃちほこを避難させるためにかけてあった足場に、焼夷弾が引っ掛かって炎上してしまったんだとか。

【1959年】鉄筋コンクリートで名古屋城が再建され、2代目の金シャチも以前と同じく天守閣の上に戻されました。

燃えてしまった名古屋城が再建されたとき、それが木造だとかコンクリート製とかにこだわりはなく、名古屋の人たちにとっては、ただ嬉しかったんじゃないかなって思います。

そこにあるだけで、安心な存在。名古屋城は近いうちに解体されますが、なんだか姿が見えなくなるのは、再建されるってわかっていても、なんだか寂しい気がしますね。

名古屋城の見どころは?

愛知県名古屋城の加藤清正が積んだ石垣

名古屋城の豪華絢爛な本丸御殿

名古屋城の本丸御殿は、江戸時代の尾張藩士の住居であり、将軍さま上洛の際の宿泊場所。空襲で焼失た本丸御殿が再現され、2018年から公開されています。

どこを見てもキンキラキンの豪華絢爛、贅沢な造りにびっくりしてしまいます。金色のふすまには今にも動き出しそうな「竹林豹虎図」が描かれ、その目で睨まれたら委縮しちゃいそうです。

一番奥の「上洛殿」は一番格式が高い部屋で、3代将軍徳川家光の上洛の際に宿泊場所として増築された部分です。

見事な彫刻の欄間があり、二重折り上げ天井にも絵が描かれ、ふすまの取っ手や釘隠しもすべて細かい飾り金具で、職人の技と贅沢さが集結した部屋になっています。

各部屋の転生を見るだけでも格式の違いがわかって面白いですよ。忘れずに上も見上げてくださいね。

名古屋城の石垣と清正石

名古屋城の清正石

加藤清正が熊本から約2万人を引き連れてやってきて、わずか3か月足らずで積み上げたといわれる天守台の石垣は、東側の高さが約12.5m、西側と北側の高さは約20m。

この石垣は「清正流・三日月石垣」と呼ばれ、三日月のようなきれいな曲線を持っています。敵の侵入を防ぐために、上に行けば行くほど勾配が急になっているんですね。

この石垣の中にある「清正石」は、まるでここに大きな隕石が落ちたのかというくらいの大きさです。高さ約2.5m、横幅約6m、重さ推定10トン!

こんな大きな石を加藤清正が運んだという言い伝えがあって「清正石」と呼ばれていますが…石垣の施工大名は、黒田長政なんですよね。

名古屋城の清正公の銅像

加藤清正は石垣普請担当で、大きな石を運ぶときは自らその石の上にのって、「もっと力入れて~!せいや~!よいしょ〜!」と音頭をとっていたそうな。(清正公石引の像があります。)

清正の応援によって、この石は運ばれてきたのかもしれませんね。

名古屋城の隅櫓(すみやぐら)

名古屋城の隅櫓

名古屋城の本丸にある3つの隅櫓(西北・西南・東南)は重要文化財、西南と東南の隅櫓は1重部分に屋根が付いていないので、外から見ると2重櫓、中は3重櫓という珍しい造りです。

隅櫓は見張り台であり、敵が攻めてきたときに迎え撃つための、鉄砲用の穴があけられています。石垣を上がってくる敵を払い落すための石落としも付いています。

名古屋城にはもともと11の隅櫓があったんですが、現存するのは3つ。西南隅櫓は大正時代の地震で倒壊し、2年後に宮内庁が再建したために、瓦が徳川家の葵ご紋ではなく、菊のご紋になっています。

西南隅櫓は常時公開されていますが、お正月1月1日~16日の期間中は、普段公開されていない東南と西北隅も公開されます。

名古屋城に生息する鹿と外来生物

名古屋城の堀に住むシカ

名古屋城のお堀にはシカが2匹住んでいます。江戸時代に余興として飼われていた鹿が、いたずらが過ぎると堀に移動させられて、そのままずっと堀で飼育されていました。

多いときは56匹いたそうですが、野犬に襲われたり、病気になったりして、2012年から2匹になってしまいました。現在は名古屋市の管理下で飼われている鹿の親子、来城の際は探してみてくださいね。

名古屋城のお堀で目撃情報があるのは特定外来生物「アリゲータガー」、「池の水ぜんぶ抜く」の番組でもこれがいたらかなりヤバイ、ワニのように口をした肉食魚です。

名古屋城のお堀の水を全部抜くと、石垣が壊れてしまう危険性があり、名古屋市の条約により名古屋城の外堀での釣りは全面禁止のため、網を使って捕獲するしか手がないようです。

2017年にアリゲーターガーを1匹捕獲!というニュースがありましたが、少なくともあと1匹はいると言われています。

もともとの生態系を壊してしまうアリゲーターガー、もしかしたらお堀の中でひっそりと身をひそめているかもしれません。早く捕獲されるといいですね。

名古屋おもてなし武将隊

名古屋城では「名古屋おもてなし武将隊」が二之丸広場に出陣し、土日祝日には寸劇や演武、口上、和太鼓演奏などで観光客を楽しませてくれます。

メンバーは織田信長・豊臣秀吉・徳川家康・前田利家・加藤清正・前田慶次の6人の武将と4人の足軽です。甲冑ダンスは思わず見とれちゃいますよ。めっちゃカッコいいです。

徳川家康と服部半蔵忍者隊の忍者ショーも開催されています。お時間を確認のうえ、見に行ってくださいね。

名古屋城の御城印と名城スタンプ

現在名古屋城の天守閣は閉鎖中ですが、御城印(来城記念符、または城郭符と言われています)をいただくことはできます。

正面横売店と天守閣前の売店で購入出来ますので、店員さんに確認してくださいね。1枚300円(税込)。

日本100名城の44番の名古屋城、名城スタンプは「正門総合案内所」と「正門改札」「東門改札」の3か所に置かれています。正門改札と東門改札は16:20までなので、気を付けてくださいね。

さいごに

名古屋城の歴史と豪華絢爛の本丸御殿や石垣などの見どころについてお伝えしました。

現在、天守閣の木造復元工事に向かって進んでいる名古屋城。本丸御殿の完璧な職人技の結晶を見ると、名古屋城の復元にも期待がかかります。

2022年末の完成は難しくなってしまいましたが、新しい名古屋城の完成が待ち遠しいですね。

天守以外にも見どころたくさんの名古屋城に、ぜひ行ってみてくださいね。

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