岡崎市には岡崎城をはじめ、徳川家康公ゆかりの場所がたくさんあります。大樹寺(だいじゅじ)もその1つ、家康公の人生観を決めたと言われるお寺です。
若き日の徳川家康の絶体絶命のピンチを救った大樹寺は、徳川歴代将軍の位牌を祀るお寺として、幕府からの財政援助もあり、かつては大きなお寺でした。
この記事では、松平家・徳川将軍家菩提寺である大樹寺の不思議、宝物殿と歴代徳川将軍の位牌堂、アクセスと駐車場についてご紹介します。
岡崎城から一直線上にある大樹寺に並ぶ、265年の江戸時代をつないだ将軍たちのご位牌は必見ですよ!
大樹寺の見どころは?
大樹寺の大方丈と収蔵庫
大方丈と収蔵庫、宝物殿(位牌堂)は有料拝観(大人500円、小中学生300円)です。大方丈は本堂の奥にある、将軍御成りの間と大名控えの間があり、畳が敷かれた部屋が続いています。
その中で一段高くなった部屋が将軍の間で、煌びやかな障壁画(襖絵)が施されていました。
現在は収蔵庫にて障壁画が再現展示されています。
襖絵の作者は幕末期の公家召抱えの復古大和絵の絵師、冷泉為恭(れいぜんためちか)。大樹寺が1855年に火災で焼失したため、1857年に為恭が全部で146面という大作を描きました。
高級な絵の具を惜しげもなく使う濃彩画を得意とした、為恭らしい障壁画が並んでいます。 金色のふすまに描かれる風景は、ざわめきが聞こえてきそうなくらい動きがあって、1枚の絵画として飾っておきたいくらいです。
※冷泉為恭さんは大和絵を極めるために、朝廷側・幕府側の人たちと交流したため誤解を受け、尊王攘夷派の浪士に殺害されてしまった、悲運の天才画家でした。
大方丈のふすまを開けて外を見ると、本堂の裏側に岡崎市の天然記念物に指定されている、しいの木(ツブラジイ)が茂っています。1560年に家康公が19歳の時に植えられたものなんだとか。
樹齢460年以上のしいの木は、1本ではなく何本かの幹が左右に広がって伸びていて、立派な大木となっています。椎の木の中でツブラジイは幹に病気が入りやすく、巨木として成長するのはあまりないんだそうです。
100年前後で折れてしまったり、風で倒れてしまったりしやすいツブラジイの木が、460年も生残しているなんて、家康公が椎の木を通して現代を見つめているような気がします。
大樹寺の歴代将軍の位牌堂
徳川家康の遺言で「位牌は大樹寺に祀るべきこと」とあり、大樹寺の位牌堂には徳川歴代将軍(14代まで)の等身大(臨終時の身長)の位牌が並んでいます。
等身大の位牌って…世界で唯一、大樹寺しかないとのこと。なんで等身大だったんでしょう…? 不思議ですね。(家康のご遺体は駿河久能山に祀られています。)
家康公は158~160㎝、当時の成人男性の平均身長が157㎝だったので、平均的な高さ、ですが、体重は70Kg…ちょっと肥満体型ですね。
ずら~っと左右に並んだ位牌、右手は松平7代の位牌で、家康の9男で尾張藩初代藩主の徳川義直が寄進したものです。高さはみな同じになっています。
左手が歴代将軍の位牌が並んでいて、他の将軍たちに比べて小さい位牌が2つあります。5代将軍徳川綱吉と、7代将軍徳川家継です。
生類憐みの令を行った5代将軍の徳川綱吉の位牌は124cm。低身長症(胴体は普通の長さなのに腕と足が短い)だったという説があります。
享年64才なので、身体が弱かったわけではなく、身長が低かったという記述は一切残っていないそうです。この位牌の高さはどういう意味なんでしょう?
徳川家継は4歳で任官した史上最年少の将軍です。7歳で死去したのに、位牌は135㎝と大きめ(現在の7歳の平均身長は約122㎝)なので、当時の子供としてはかなり背が高かったということになります。
なにはともあれ、江戸に幕府を開き、江戸で日々を過ごしていても、亡くなれば位牌は大樹寺へ祀る、その家康公の遺言がきちんと守られて、徳川幕府が260年続いたってすごいですよね。
位牌堂の奥には家康公33回忌に3代将軍徳川家光公によって造られた、木造の徳川家康坐像があります。
像高47㎝の玉眼(本物らしく見せるために水晶の板がはめ込まれています)の家康公は、御神体として安置されています。
大樹寺の山門と鐘楼
山門と鐘楼はどちらも1641年、3代将軍徳川家光公が家康公17回忌の時に建立したものです。境内から山門、外側にある総門を通して真ん中に岡崎城が見えるようになっています。
総門は現在、大樹寺小学校の南門になっています(大樹寺の境内に小学校が開校したそうです)。400年前の歴史的建造物が学校の門ってすごい、かっこいい!ですね。
(写真↑は、門の向こうに大樹寺小学校の南門は見えますが、岡崎城までは見えませんでした。時間帯による光の加減でしょうか…残念!)
大樹寺と岡崎城を結ぶ約3㎞のライン(ビスタライン)、岡崎城の歴代城主は、大樹寺の方向に向かって毎日礼拝したんだとか。
現在このライン上に大きな建物を建ててはいけないことになっているそうです。ビスタは「眺望・展望」という意味、この景観はずっと守っていってほしいですね。
大樹寺の御朱印は?
#大樹寺#御朱印
— 🌈まさまさ🌈🍺うまうま🍺 (@masamasamabo) September 7, 2023
限定御朱印戴いて来ました😆
誠に有難う御座います\(//∇//)\ pic.twitter.com/zfA1LXVs7p
大樹寺の御朱印は、本堂内右手の授与所でいただけます。大樹寺の御朱印は3種類あります。
- 通常御朱印「厭離穢土 欣求浄土」
- 三河三十三観音霊場の御朱印
- 法然上人三河二十五霊場の御朱印
徳川家の三つ葉葵の家紋が付いた、オリジナルの御朱印帳もあります。
住所:岡崎市鴨田町字広元5-1
電話番号:0564-21-3917
宝物殿 拝観時間:
4~9月 9:00~17:00(受付は16:30まで)
10~3月 9:00~16:30(受付は16:00まで)
年中無休
大樹寺は家康公ゆかりの寺
大樹寺の名前の由来は?
大樹寺(だいじゅじ)は浄土宗のお寺で正式には「成道山松安院大樹寺(じょうどうさん しょうあんいん だいじゅじ)」といいます。
「大樹」は「征夷大将軍」を表す「唐名(からな)」なんです。唐名は、日本の官職名を、中国の官称にあてはめたもので、今でも皇太子を「東宮」、内閣総理大臣を「首相」と呼ぶのも、唐名が定着してるんですね。
大樹寺が創建された1475年、徳川家康より5代前の先祖が、松平家から将軍が誕生することを祈願して「大樹寺」と命名されたそうです。
普通のお寺の名前って、その宗派の経典やお寺の由来から付けられることが多いので、他とは違う命名ですが、本当に将軍が誕生しているので、ご利益の高いお寺、なんですね。
大樹寺は徳川家康公を救ったお寺
徳川家康は幼少時代、今川義元の人質として過ごし、今川氏の元で元服、桶狭間の戦いでは今川軍に味方していました。
家康の軍勢は織田側の砦を落とし、前哨戦は勝利していたものの、桶狭間で今川義元は織田信長に攻撃され、討死してしまいます。
前途を悲観した家康は大樹寺に逃げ込んで、自害しようとしました。その時に住職が「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」と説いて、家康を思いとどまらせたと言われています。
「戦国乱世は誰もが自分の欲のために戦って、国土が穢れている。その穢土を平和な浄土にすることを願い求めるなら、必ず神のご加護を得て事を成すことができる」という意味で、家康はそれが自分の役目だと思い、この言葉を座右の銘として、心に刻んだんですね。
この時、寺は家康を狙う野武士に囲まれていましたが、怪力を持つ寺僧の一人が門のカンヌキを抜いて戦って、敵を退散させたそうです。
家康公の難を救ったカンヌキは「貫木神(かんぬきじん)」として、大樹寺の宝になっています。
※このカンヌキ、同じサイズのものが置いてあるんですが、ものすごく重たいです。これを振り回して戦うって、ものすごい力持ちだったんですね。
このカンヌキを振りまわした寺僧は、のちに家康が西福寺を建立したときに住職として迎えられ、大名待遇されたそうです。
大樹寺本堂のご本尊は?
現在の本堂は13代将軍徳川家定によって1857年に再建されたものです。
本堂には金色に輝く木造の阿弥陀如来坐像が安置されていて、全身が金ぴかに光り輝いています。ご本尊も本堂の火災で焼失してしまったため、京都の泉涌寺から迎えられたものです。
後ろには1,000体の小さな阿弥陀仏がおられます。とっても優しいお顔の観音様です。
内陣の左右には徳川家康を救った「厭離穢土」「欣求浄土」の文字が掲げられています。
大樹寺のアクセス駐車場は?
大樹寺へ電車とバスでの行き方
名古屋から名鉄名古屋本線「東岡崎駅」下車します。快速特急、特急、急行、準急、普通電車が停車します。(快速特急は停車しないので気を付けてくださいね。)
または名古屋からJR東海道本線「岡崎駅」で下車します。
岡崎駅・東岡崎駅から名鉄バス「大樹寺」「奥殿陣屋」「滝団地」行きに乗り、「大樹寺」で下車、バス停から6分ほど歩きます。
または、JR東海道本線「岡崎駅」で下車、愛知環状鉄道・高蔵寺行きに乗り換えて「大門」で下車し、徒歩で1.1Km、約10分ほど歩きます。
名鉄バス「大樹寺」バス停から大樹寺までの地図です↑
大樹寺へ車で行く・駐車場は?
東名高速道路「岡崎IC」から県道26号線、またはモダン道路と呼ばれる県道477号東大見岡崎線で北上します。
岡崎城から国道248号で北へ3Km、約10分くらいです。
参拝者用の無料駐車場があります。
>>大樹寺の口コミや周辺の宿泊施設の情報を【楽天たびノート】で確認する※情報が変更されている場合もありますので、公式サイトなどで最新情報をご確認くださいね。
↑大樹寺はこちらの本で紹介されています。
さいごに
松平家・徳川将軍家菩提寺である大樹寺の境内建物やご本尊、宝物館の障壁画や位牌堂、アクセスについて、お伝えしました。
大樹寺で「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」の言葉をもらった家康公は、この言葉を馬印にして、戦いのない平和な国を作ろうと心に誓っていたんでしょうね。
自害をとどまった家康は、大樹寺から岡崎城へ戻ると、今川氏から独立、織田信長と同盟を結び、歴史の表舞台へと出ていくのでした。家康公のターニングポイントが大樹寺だったんですね。
江戸時代をつないだ歴代将軍の位牌がある大樹寺、岡崎城へ来られた時はぜひ足をのばして参拝してくださいね。
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